教会をたずねて
雪の聖母聖堂(社会医療法人 雪の聖母会 聖マリア病院)
聖堂前方 |
祭壇中央 |
祭壇 |
祭壇正面 十字架 |
祭壇を支える司祭像 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
聖堂内 聖母子像 |
十字架の道行き |
ステンドグラス |
ステンドグラス |
ステンドグラスの光 |
パイプオルガン |
脇祭壇 |
聖水入れ |
天井 |
聖堂に表示してある祈り |
聖堂後方 |
聖堂前のマリア像 |
ルルド |
病院の受付ホールの ステンドグラス |
歴史と聖堂内部
雪の聖母聖堂は、旧大名町天主堂(福岡教区カテドラル)を1984(昭和59)年12月に解体し、1986(昭和61)年3月に久留米市にある聖マリア病院構内の付属聖堂として復原移築したものです。
1887(明治20)年に、パリ外国宣教会のエミール・ラゲ神父によって福岡で再び宣教が開始されました。ラゲ神父は旧称橋口町(現在の天神四丁目)に家を借りて、講演会形式による直接宣教を試みました。ラゲ神父の後を継いだアルフレッド・ルッセル神父は、現在の大名町教会の西側半分の土地を購入しました。
1893(明治26)年に来福したエドワード・ベレール神父は、自らの故郷パリの「勝利の聖母教会」に聖堂建設の援助を依頼し、フランスから贈られた寄付によって1894(明治27)年に聖堂の建設がはじまりました。そして2年後の1896(明治29)年に赤レンガの旧大名町教会堂が完成しました。
当時、福岡には煉瓦造りの建築は一つもありませんでした。ベレール神父は自ら設計を行い、何の知識も持たなかった大工に赤レンガを焼くことから教えて、直接建設にあたりました。
この聖堂は「勝利の聖母」にささげられ、今もカトリック大名町教会の聖堂入口には、ベレール神父が携えてきた勝利の聖母の像が置かれています。
1936(昭和11)年には信徒数が千人を超え、赤レンガの聖堂は手狭となってきました。
新聖堂の建設が計画され、1938(昭和13)年には隣接して木造新聖堂が建築され、旧聖堂は託児所などに使用されていました。戦災は免れたましたが、その新聖堂も老朽化が進み、福岡カテドラルセンターの建設が計画され、1986(昭和61)年に、現在の聖堂が落成し献堂式が行われました。
赤レンガの聖堂が明治期の洋風建築として貴重な旧聖堂解体の情報がマスコミによって報道され、旧聖堂保存の要望が市民文化団体から出されました。九州大学の土田充義氏の尽力や、聖マリア病院の井手一郎院長の決断によって赤レンガの聖堂は同病院構内に復原移築され、現在にいたっています。
聖マリア病院の受付ホールには、ミロー氏の製作の日本のカトリック教会の歴史をテーマにした「ダル・ドゥ・ヴェールの主題『出会い』『受難』『復活『希望』」というステンドグラスが飾られています。
- 見学について:非公開となっています。内部拝見は予め久留米聖マリア病院にお問い合わせください。
- 聖マリア病院ホームページ:http://www.st-mary-med.or.jp/index.html