教会をたずねて
カトリック松山教会(大阪高松大司教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
祭壇正面 十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
司祭の椅子 |
聖堂内 み心のイエス像 |
聖堂内 マリア像 |
聖堂内 聖ドミニコ像 |
ステンドグラス |
聖トマス西と15聖殉教者 |
聖トマス西と15聖殉教者 |
十字架の道行き |
洗礼盤 |
聖水入れ |
告白場 |
オルガン |
聖歌隊席 |
聖堂後方 |
小聖堂 |
小聖堂 マリア像 |
小聖堂 聖体ランプ |
教会入り口 マリア像 |
マリア書院 |
歴史と聖堂内部
1565(永禄8)年、ルイス・フロイス神父とルイス・アルメイダ修道士によって、はじめて愛媛県にキリスト教が伝えられました。
その後、江戸幕府によるキリスト教禁教令が続きました。
1885(明治18)年にペトロ深堀達衛門神父が広島から松山に巡回宣教に訪れて数名が洗礼を受けました。これが、松山における再宣教活動のはじまりでした。
1887(明治20)年には、パリ外国宣教会のエンリケ・ダンドン神父が松山に定住しましたが、協力者を得ることができず、1年あまりで松山を去ることになりました。
1902(明治35)年にイシドロ・アルフォンソ・シャロン神父は、宇和島より松山に宣教の根拠地を移して、現在の永代町に教会の敷地を購入しました。
1904(明治37)年、教皇ピオ10世によって四国は大阪教区から独立して四国知牧区となり、ドミニコ修道会ロザリオ管区が宣教を担当することになりました。
当時、日露戦争におけるポーランド人、ロシア人捕虜が松山に収容されていたため、ポーランド人の信徒たちのために収容地の寺でミサが行われました。
1911(明治44)年には、三番町に土地、家屋が購入され、1921(大正10)年、スペインの後援者からの寄付により、レンガ造りの聖堂と司祭館が完成しました。
1924(大正13)年、聖ドミニコ宣教修道女会によって、美善女学校(現学校法人カタリナ学園)が設立されました。
1936(昭和11)年、衣山に教会墓地が購入されました。
第二次世界大戦によって、1945(昭和20)年7月、松山空襲により、市街地の大半は灰燼に帰し教会も全焼、司祭、修道女は今治などへ疎開しました。
1949(昭和24)年に、松山教会が再建されました。この年、愛媛県はドミニコ会、香川県は邦人司祭、徳島、高知両県はオブレート会が司牧を担当することとなりました。
1953(昭和28)年には、聖ドミニコ修道会を母体とする愛光学園が開校されました。
1979(昭和54)年の高松教区創設75周年には、ドミニコ会宣教再開75周年記念式典が行われました。また、1985(昭和60)年には、愛媛宣教100周年を迎え、この年、現在の教会が完成しました。
(松山教会 Webサイト 参照)