教会をたずねて
カトリック泉町教会(東京教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
聖堂 十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
祭壇正面 イエス像 |
聖堂内 聖母像 |
聖堂内 ヨセフ像 |
ステンドグラス |
十字架の道行き |
オルガン |
聖堂後方 |
庭のマリア像 |
歴史と聖堂内部
1876(明治9)年、当時はまだ外国人が居留地外に滞留にすることが困難な時代でしたが、キリスト教の自由、平等、博愛の精神に、大いに共鳴した山上卓樹青年はテストヴィド神父を自分の村、下壱分方に招きました。村人たちはこぞって神父を出迎えました。
1877(明治10)年には信者はすでに50人を超え、洗礼の勢いは1890(明治23)年まで続きました。村の中心には礼拝室と神父の宿泊所もでき、1890(明治23)年の信徒数は250人となり、全村が信者になるのではないかと思われました。
しかし、テストヴィド神父は病で、日本を離れることになりました。さらに天主学校が経済上の問題で廃校となり、信者の教育の場が閉ざされました。
1892(明治25)年、全村を大火が襲い、一瞬にしてほとんどが灰塵と化してしまい、これを期に多くの村人が都会へと出て行きました。
この年、27才のメイラン神父が初代の主任司祭として着任しました。火事の後であったため本町の教会が以後宣教の拠点となり、下壱分方は巡回教会となりました。
1927(昭和2)年、テストヴィド神父による宣教50年を記念して、元八王子(現在の泉町・初期の下壱分方)の現聖堂が、信徒たちによって建て替えられました。