教会をたずねて
カトリック沼津教会(横浜教区)
聖堂前方 |
祭壇 |
聖堂 十字架 |
聖櫃(せいひつ) |
朗読台 |
ステンドグラス |
聖堂内 聖母像 |
聖堂内 ヨセフ像 |
聖堂内 ピエタ |
十字架の道行き |
聖水入れ |
洗礼盤 |
オルガン |
告解場 |
旧 洗礼盤 |
聖堂後方 |
聖堂前 聖母子像 |
聖堂前 鐘 |
信徒会館 |
信徒会館ホール |
聖マリア幼稚園 |
歴史と聖堂内部
1866(慶応元)年に来日したパリ外国宣教会のマラン神父は、明治に入って東京近郊を巡回し、1875(明治8)年8月、静岡県を訪れ、沼津から6、7キロのところにある松長で30名に洗礼を授けたと記録されています。処罰を恐れて信者になることを恐れる人々を安心させるため、鈴木孫四郎伝道士は、キリスト教への改宗届を県に提出しました。県は、沼津警察に戸主を出頭させ、改宗届を撤回させようとしましたが、沼津の米屋・近藤某はそれを拒み留置されました。鈴木が東京から駆けつけ、信仰の自由を説いたので、留置は解かれました。これが、松長キリシタン事件です。
その後も、信徒たちは村八分にされましたが、キリスト教はますます発展していきました。
テストヴィド神父は、沼津が静岡県東部の交通、産業、教育、政治の中心地であることに目をとめて、1885(明治18)年に松長の教会を沼津(本通)に移転しました。
1889(明治22)年、テストヴィド神父はハンセン病療養所 ・神山復生病院の前進となるハンセン病の病院を開院しました。この年、明治憲法において、条件つきながらも、信教の自由が条文化されました。
1914(大正3)年に、焼失した教会の土地を売って、駅に近く交通の便のよい大手町に移転しました。
1926(大正15)年12月10日の沼津市の大火によって類焼した聖堂は、たくさんの支援を受けて、1931(昭和6)年に献堂式を迎えました。
1934(昭和9)年9月、教会付属の聖心幼稚園を開園しました。
第二次世界大戦の戦禍の中、1945(昭和20)年7月の大空襲によって灰燼(かいじん)に帰し、戦後進駐軍の好意によって、かまぼこ兵舎をもらいうけて聖堂にしました。
1960(昭和35)年4月、現在の場所に新聖堂が建てられ献堂式が行われました。今聖堂横に置かれている鐘は、1960年に大手町からこの地に教会が移転する際に、当時の主任司祭スパルフェル神父がフランスに製作を依頼したものです。
1975(昭和50)年、沼津教会はマラン神父が松長ではじめて洗礼を授けてから100年を迎え、5月には「百年祭」を祝う式典が行われました。