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どうしてシスターに?

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シスター マリア・エレナ 深堀千代子

出会い

シスター深堀


わたしはキリシタンの町で生まれ、熱心なカトリックの家庭で成長しました。1945年8月9日の原爆で、すべてを失ったわたしは、「神なんて信じられない」と長崎を捨て、神から逃れるために上京しました。皮肉にも(神の摂理)熱心なカトリックの信徒に、秘書として採用され、さらに、来日して日も浅い聖パウロ女子修道会のシスターヴィンチェンサと出会ったのです。神から遠ざかろうとするわたしを、このようにして神はしっかりと捕え、離しませんでした。

わたしが信者だと知ったシスターは、単刀直入に「シスターになりませんか」と尋ねました。しかし不信心なわたしは、「修道生活など、とんでもない!」と即座に断わったのです。
「それなら、すばらしいボーイフレンドを見つけて結婚なさい。」
「はい、そうします。」
わたしは、そう答えて別れました。

その後も、シスターヴィンチェンサはたびたび上司を訪問していましたが、ある日、わたしたちの家に来てみないかと誘ってくださいました。好奇心に駆られたわたしは、次の日曜日、さっそく修道院を訪ねることにしました。

そこで目にしたのは、異文化の中で日本語も定かでない外国宣教女たちが、小さい修道院全部を子供や人々に開放して、熱心に宣教している姿でした。想像していた修道女のイメージと違う明るさ、新しさに驚嘆したわたしは、日曜信者で教会活動にも無関心だった今までの姿から180度回心し、宣教へと駆り立てられたのです。

早速、修道会入会の許可を求めるために、父に手紙を書きはじめました。ある司祭から「ぼくが女だったら、シスターにはならないな」と言われ、「これは一時的な感情で、本物の召命ではないのでは……」と悩みもしました。しかし、シスターたちの励ましに支えられ、入会を決断したのです。

ところが、父の猛烈な反対にあい、父を説得するために長崎へ向かう車中、偶然(これも摂理)にも、今は亡きゼノさん(コンベンツアル聖フランシスコ修道会のゼノ修道士)と出会いました。駅に迎えに来ていた父たちに対し、ゼノさんは父が反対しているのも知らず、わたしの入会を祝ったのです。こうして、すべてのことが、駅で解決してしまいました。

神は信仰の歩みの節目節目に、人との出会いを通して恵みを注いでくださるのだという確信をもって、1950年の聖母月(5月)、わたしは阿佐ヶ谷の修道院に入会したのです。翌年の修道服の着衣式で、最初に出会ったシスターヴィンチェンサが、「あなたは本当にすばらしいボーイフレンドを見つけましたね」と、ささやいた言葉が、今も心に響いています。

注)1948年8月7日、横浜港に着いた3人のイタリア人修道女は、阿佐ヶ谷に修道院を開きました。現在の乃木坂へ移ったのは、翌1950年12月です。


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