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どうしてシスターに?

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シスター マリア・パオラ 貝原敬子(1)

赤レンガの家に魅せられて

シスター貝原


わたしが受けた修道生活への招きは洗礼への招きの延長線上にあり、神のご計画のうちに育まれた自然の成り行きではなかったか、わたしがいまここにいるのは、忍耐強くて優しい神の導きと多くの方々の祈りと、かずかずの恵みによって紡がれた一本の糸のように、見え隠れしながらわたしの中を貫いていたからだ、との思いを日々新たにしています。

わたしは幼いころ、市街地に住む祖父の家に行くのが楽しみで、お隣のタカ子ちゃんと遊ぶのが大好きでした。タカ子ちゃんの家にはオルガンやお琴があって、わたしにもよくさわらせてくれました。

そんなある日、わたしたちは表に出て、走る車を見ながら遊んでいると、急にわたしの目に、夕陽に輝く赤レンガの塔と、その先にある十字架が飛び込んできました。 わたしは驚いてタカ子ちゃんに尋ねました。「アレ、ナーニ?」 すると「アレハネ、アーメンノヨウチエン…。アーメンノヒトダケガ、イクトコロョ」と教えてくれました。「ジャ、ワタシモアーメンニナリタイ」と、幼心に小さな決心をしたことを覚えています。そのころ、わたしたちは幼稚園適齢期だったのでしょう。

それから時世は慌ただしく移り変わり、戦争そして敗戦、混沌とした頽廃の時期が来たあと、戦争のない平和な時代になりました。そのころわたしは、小学校の教師になろうと勉学に励んでいました。ある日、一人の友人が教会に行かないかとわたしに声をかけてくれました。クリスマスも近いころでした。友人の呼びかけを受けたとき、とっさに、わたしは幼いころのタカ子ちゃんとの会話を思い出しました。友人が言う「教会」は、何と、まさしく幼いわたしの目に飛び込んできたあの赤レンガの家でした。わたしはもはや幼稚園児としてではなく、一成人として友人と一緒にその門をくぐりました。そのころわたしのなかを去来していたキリスト教への好奇心が、次第に憧れとなり、新たな決心となって、わたしの心に住み着くようになりました。キリスト教を知りたい、キリスト信者になりたい、修道者になりたい……。

……(2)へ続く

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