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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ルイザ 山本文子(2)

シスター山本

受洗というありがたい恵みを受けたのだから、とにかく「宣教するため」修道会に入ろうと思った。わが家の縁側のすみっこの指定席で、本ばかり読んでいたわたしは、出版による宣教をしている聖パウロ女子修道会という会があることを知るや、すぐにそこに行こうと思った。教育修道会を勧めてくださる神父さまの声も、驚き悲しむ未信者の家族の声も耳に入らなかった。

本を読むのが好きというのと、本を制作するというのとは全くちがう。マスメディアによる宣教をしている修道会であってもシスターたちの仕事は制作ばかりではなく、普及や会計や家事仕事などの分担があるということも考えなかった。もちろん自分がそのどれに配属されるかということも考えなかった。本が大好きだから本で宣教するのだと飛び込んだ。

                              

 担当することになった制作の仕事は、他の部署のそれと同じく楽しくもあったが、ほんとうに労苦多き仕事であった。それにもまして日々にキリストをめざし、み旨を求め、己と闘う生活は、わがままいっぱいに育ったわたしにとって決して平坦な道ではなかった。しかし、主のみ手はいつもわたしの上にあった。わたし自身それと気づかなかったときでさえ……。困難のあとにはいつも自らについて、人間について、神について光を受けた。

                              

        おべべも おうちも ご飯も
        みんな くださる かみさま
        ありがとう。アーメン。

お昼のお弁当を前に小さな手を合わせて食前の祈りを歌う幼い園児たちの声、そのなかにわたしの声もあった。

思えばそのとき、わたしはすでに「人の思いをはるかに超える」慈しみ深い神のみ手にとらえられていたのであった。合掌。

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