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キリシタンゆかりの地をたずねて
静岡県 静岡市
耕雲寺
安倍川の支流である藁科川右岸の耕雲寺住職が、手の指と足の腱を切られ額に十字の焼き印をされた原主水を哀れに思い匿いました。
耕雲寺入り口の看板 | 耕雲寺 本堂 |
主水は、耕雲寺の後ろの山に点在する牧ケ谷古墳郡の中の1つに匿われていたのではないかと言われています。
やがて原主水は傷も癒えて江戸へ向かいましたが、主水を匿ったことが露見し、耕雲寺の住職は自害させられてしまいました。
その上、 耕雲寺は慈悲尾村の曹洞宗増善寺の末寺でしたが、 臨済宗に替えられてしまいました。
墓所の入り口には、現在下記のような石碑が建てられています。
戒名のない卵頭墓石
この寺は増善二世虚廓僧の開闢洞家禅院なりしが
何なる由かありけん済家に転じて宝泰寺に属せり(駿河志料)
慶長十七年(一六一二)三月 徳川家康は切支丹禁教令を発し足下の駿府で 厳しい詮索と過酷な迫害を開始した 近侍の銃隊長原主水胤信は 信徒の故に捕らえられ 安陪川原に於て十指を切断 額に十字の火印を当てられ放遂された この惨劇を目撃した一人の仏僧は彼を救出、自寺に匿い庇護したことが露見し曲事として処罰された(徳川実記 駿府政事録)
それは強大な権力にたちはだかり 自らの生命をかけひたすら 仏陀の教 慈悲の神髄を全うした義挙であった 以来幾星霜 一字の戒名一語の伝承もなく 今ここに眠る義僧の冥福を祈り深甚なる尊敬の念をもって この埋もれた事蹟を顕彰するものである
郷土史研究会
歴代住職の墓 | 戒名のない卵頭墓石 |
耕雲寺に牧ケ谷古墳郡の紹介パネル
- 住所:静岡県静岡市葵区牧ケ谷281
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