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キリシタンゆかりの地をたずねて
長崎県 平戸市生月町
一部氏館跡
一部氏館跡の碑
籠手田氏の一族で、この地の領主であった一部勘解由(いちぶ かげゆ)の屋敷跡です。
一部勘解由は籠手田栄の子で、一部氏の養子となしました。1557(弘治3)年、兄の籠手田安経(こてだ やすつね)と共にカーゴ神父から洗礼を受けました。洗礼名はドン・ジョアンでした。
領主の洗礼によって、カトリックに入信するものが年々増えました。しかし、1563(永禄6)年、相神浦の戦においてドン・ジョアン勘解由が戦死したため、その子バルタザル大和正治が一部氏を継ぎました。
1582(天正10)年に、アントニオ籠手田安経も急死し、その後キリシタンに対する弾圧が強くなり、1599(慶長4)年、安経の子 ジェロニモ安一は、バルタザル正治と共に、生月を逃れました。
今は、この地に堂が建てられ、旧8月29日を一部氏の命日として、ゆかりの人びとによって「オラショ」が唱えられます。
一部氏館跡 解説 | 一部氏館跡にあるお堂 |
- 住所:平戸市生月町壱部浦
- アクセス:生月大橋から車で20分
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