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キリシタンゆかりの地をたずねて
山口県 萩市
萩キリシタン殉教者記念公園
毛利輝元は、萩城築城の総奉行に重臣熊谷元直と益田元祥に命じました。熊谷の娘婿の天野元信が工事中に城の石垣の間に詰める五郎太石を益田側に盗まれるという「五郎太石事件」が発生しました。天野側と益田側で石の返還交渉が長引き築城工事が2カ月以上遅れたことを利用して、輝元はキリシタンである熊谷元直と天野元信の処刑を命じました。
旧暦の慶長10年7月1日、山口にあった熊谷元直の屋敷は没収され、翌日7月2日(西暦1605年8月16日)の早朝、元直のもとに罪状書と切腹命令を輝元の使者が持ってきました。熊谷はキリシタンである故に切腹(自殺)は出来ぬと拒み、荒縄で縛って殿の前に連れて行けと言い放ち、奥の部屋に入った時に武士たちが乱入して彼の首をはねました。享年50歳でした。この時、彼の妻子・孫・娘婿天野元信家族など一族のキリシタン、少なくとも11名が皆殺しにされました。
熊谷元直の碑 | 天野元信の碑 |
萩キリシタン殉教者記念公園には、1605年に殉教した「福者」熊谷元直、娘婿の天野元信ら徳川時代の殉教者の顕彰碑と、明治初年に、長崎浦上四番崩れによって萩へ長州毛利藩に流配され、棄教を迫られ殉教した浦上キリシタン信徒の墓石が並んでいます。 この地は、パリ外国宣教会のビリオン神父が長州出身の伊藤博文や時の外務大臣・井上馨を通じ、浦上信徒の牢屋だった旧岩国藩屋敷跡を、山口県知事の計らいで萩教会がキリシタン墓地として受けたものです。
福栄村に潜伏していたキリシタンの墓石 | ビリオン神父が建立した殉教者顕彰碑 と浦上信徒の墓石 |
- 住所:山口県萩市堀内1区の3
- アクセス:萩城跡指月公園入口下車 徒歩5分
山陽道防府東ICから国道262・9号経由60km 1時間10分
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