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キリシタンゆかりの地をたずねて

滋賀県 大津市

ゆかりの地

物語

坂本城趾


坂本城趾の碑 明智光秀の像

1571(元亀2)年、比叡山の焼き討ちを行った織田信長は、延暦寺の監視とその一帯の支配を、明智光秀に命じました。光秀は、下阪本に坂本城を築城しました。

 この城は、城内に琵琶湖の水を引き入れた、いわゆる「水城形式」の城郭でした。フロイスは、豪壮華麗な安土城に次ぐ名城と記しています。
 本能寺の変の後、10年で落城しました。

 徳川幕府が発布したバテレン放令によって、金沢を去った高山右近一行は、この坂本城のあった坂本で京都所司代に引き渡され、しばらくの間この地に留め置かれました。

光秀の意地


  • 住所:〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3丁目1
  • アクセス:京阪電車「松ノ馬場」下車 徒歩25分

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