home > キリシタンゆかりの地をたずねて > ゆかりの地一覧 > 細川ガラシャ隠棲の地 味土野
キリシタンゆかりの地をたずねて
京都府 京都市
細川ガラシャ隠棲(いんせい)の地 味土野(みどの)
細川 ガラシャは、明智光秀の三女で細川忠興の正室です。実名は「たま」(玉/珠)または玉子(たまこ)とされています。
1582(天正10)年6月、京都本能寺において、父明智光秀が謀反を起こし織田信長を襲撃しました。「本能寺の変」といわれる事件です。その後の山崎の戦いにおいて父光秀は討たれ、明智家は謀反人として追討されます。
たま子(のちのガラシャ)は、夫細川忠興の命により、京丹後市弥栄町味土野に幽閉されました。1584(天正12)年までの2年あまり、宮津城の残してきた2人の子どもたちを思いながら、山深いこの地で過ごしました。
![]() | ![]() |
細川ガラシャ隠棲の地案内図画 | 女城の古井戸 |
味土野では、マリア清原いと(公家・清原枝賢の娘)をはじめとする侍女たちがたま子に仕えました。この間、たま子は書物などを通して信仰を深めました。たま子は、赦され隠棲を説かれた後、洗礼を受けています。
標高613メートルの修験の山、金剛童子山の山裾の秘境にあり、絶好の隠れ家だった味土野。ここには、たま子が隠棲していた女城と警護する武士がいたと伝える男城と呼ばれる屋敷跡が残っています。現在も、味土野までの道は、離合困難な狭い府道が続きます。女城跡には「細川忠興夫人隠棲地」の記念碑や当時使っていたといわれる古井戸が残っています。
- 住所:〒627-0102 京都府京丹後市弥栄町須川
- 電話:0772-72-6070(京丹後市観光公社)
- アクセス:京都丹後鉄道「峰山駅」下車、車で40分