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女子パウロ会ニュース
最後まで宣教者だったシスター寶賀
2020.07.30
7月27日朝7時16分、名古屋修道院のSr.マリア・イダ寶賀(ほうが)和子が、搬送先の病院で亡くなりました。88歳でした。
Sr.寶賀は、1932年の東京生まれ。22歳のときに東京の聖パウロ女子修道会の聖堂で洗礼を受け、翌年1月25日に入会しました。シスター寶賀が、どのようなきっかけで修道生活を選んだのかは、本サイトの「どうしてシスターに」に、次のように書いています。
人生には、たびたびいくつかの岐路があり、それにともなうさまざまな出会いがある。・・・・・・・会社勤務の時に生花を習ったことがあった。ほんの軽い気持ちではじめたことが、次第にその道に魅せられて将来この道に生きるのもいいなあと考えるようになった。そんなやさき知人から、「わたしの行っている修道院へ行ってみませんか」と誘いを受けた。その誘いが女子パウロ会を知るきっかけとなった。……シスターからカトリック要理を学び、受洗へと導かれた。ある日、三位一体について学んでいる時に「これは信仰の源泉です」と教えられ、その時カトリックの神髄に触れたと感じるとともに、心底につき動かされるものを感じた。
華道の基礎には、芯(しん 真とも書く)・副(そえ)・控(ひかえ)が生花の原型であり、一体の美しい花型を作りあげる。同様それが神からきているのではないかと実感し、三位一体の神をもっと深く知りたい、そしてもっと愛したいと思うようになった。
といっても、入会までにはさまざまな困難があったそうですが、「神のはからいで実現することができた」と書いています。
1964年に終生誓願を宣立し、仙台、長崎、大阪、そして最後の派遣の場である名古屋支部で、主に訪問宣教に従事しました。名古屋での宣教は、28年という長い期間となりました。
しかし、80歳を超えて以前のように車を運転して宣教に出かけることができなくなったとき、次のように考えました。「わたしの人生のほとんどは、訪問宣教でした。80歳を迎えた時に、これからは教会や幼稚園、学校を自ら訪問して宣教することはできなくなるだろう。それで、いままで訪問してきた所でできるだけ協力者を見つけ、その方たちの協力を得て今も宣教をしています。身体は思うように動かなくても、これからも協力者とのコンタクトをとりながら、宣教に励んでいきます」。
歩行を助けるショッピングカートを使いながら、修道院の斜め向かいにある布池教会に、毎朝ミサに行き、一日を初めていました。
通 夜
葬儀ミサ
葬儀ミサ
出 棺
亡くなった27日、この日は月に1回の、修道院でミサがある日でした。いつも早く聖堂に来て祈っているのですが、この日は聖堂に来ていなかったので心配してお部屋を見に行ったら、制服を着たまま倒れていたそうです。すでに呼吸は止まっていて、救急車で病院に運ばれ、死亡が確認されました。ミサに行く準備をして修道服を身につけ、目を開けたらそこは天国だった、とはなんて幸せなことでしょう。Sr.寶賀、天の国で、わたしたちのために、また新しい召命が与えられるようお祈りください。
→ 「どうしてシスターに」Sr.寶賀のページ