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新世紀ルーツへの巡礼
プロローグ
一粒のシード
みなさまは、「20世紀と21世紀を分かつ夜」、新しい世紀への過ぎ越をどのようにすごされましたか。
私たちパウロ家族にとっては、1900年から1901年への「前世紀と今世紀」を分かつ夜は、アルベリオーネ神父の胎内に一粒のシードが誕生した日、つまり、アルベリオーネ神父が神から特別のインスピレーションをいただいた日です。ですから、全世界のパウロ家族のメンバーはこの夜を特別に祈りの中で過ごしました。
100年前のこの夜、アルベリオーネ神父の中に意識された一粒のシードは、過ぎ去った20世紀という世紀に育っていきました。このアルベリオーネ神父を「神の人」と人は言います。1969年に教皇パウロ6世は「今世紀の一大驚異」と彼を呼びました。
パウロ6世とともに
彼をごらんなさい。つつましく、寡黙で、疲れを知らず、いつも注意深く、いつも深い考えのうちに心を集中しています。(『祈り、働け』との伝統的なことばのとおり)その考えは、祈りから働きへと移っていきます。『時のしるし』、つまり、最もじょうずに人々に届く方法を細心にさぐりながら、アルベリオーネ神父さまは、教会にみずからを表現するための新しい道具を与え、教会の使徒職に生気と広さを与える新しい手段を提供し、現代世界に現代の手段をもって教会が果たしていく自己の召命には価値と可能性があるという自覚を教会に持たせたのです。」(パウロ6世の言葉から)
あの日、
アルベリオーネ神父は、
一粒のシードの中に見ていたのです。
神のみ手(ご計画)を、
人を、
世界を。
「地球上につねに新たになっていくこの人類は、
どこを歩き、
どのように歩き、
どこに向かっているのでしょうか?。
人類は、永遠という大海に注ぎ込む大河のようです。
救われるのでしょうか?
永遠に滅びるのでしょうか?」
この問いがアルベリオーネ神父の生涯を走らせたのです。
今年は、あの日、アルベリオーネ神父のうちに宿った一粒のシードが、どのようにはぐくまれ育っていったのかについて、私たちの起源をみなさまにご紹介しながら、「巡礼の旅」「一粒のシードの旅」をご一緒にしたいと思っています。
まず、旅を始める前にアルベリオーネ神父のプロフィールを簡単にご紹介したいと思います。
◆1--- プロローグ