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新世紀ルーツへの巡礼
教区認可修道会として
4) ベトレヘムでの聖家族の生活にならって
聖パウロ大聖堂中央祭壇
1927年の10月には、聖パウロ会の小グループは、このぶどう畑の農家に引っ越しました。アルベリオーネ神父は、この時こう書き送っています。「優れたぶどう栽培者である聖パウロの指導に従って、ぶどうを栽培しなさい」と。
ここは、大きい敷地の中にあっても住居は、非常に狭いものでした。
ジャッカルド神父は、若者たちの寝室の一部を板で囲い、彼の寝室としていました。
ここに印刷所までもうけることは出来なかったので、印刷機などはオスティエンセ通りの借家に置いたままにし、そこまで通っていました。
しかし、彼らは喜んで生活していました。この地を譲ってくださったシュスター大修道院長が訪問された時、若者たちの様子をみて感動し、「ベトレヘム! ベトレヘム!」と、言ったほどでした。
ジャッカルド神父は、若者たちが充実した1日を終え、ベットに休みに行った後、彼は、この地の入手のために多額の借金をしていたので、聖堂に残り真夜まで祈るのが常でした。
ベネディクト会に第1回の約束の金額を支払う日、彼はアルベリオーネ神父からの連絡を待っていました。
翌朝、玄関のドアの呼び鈴が鳴るので出てみると、なんとアルベリオーネ神父が来ていました。彼はベネディクト会士たちへの支払いの金額を携えていたのです。
また、ジャッカルド神父には、支払い期日のきている借用書が幾つかたまっていましたが、支払う金額は一銭もありません。兄弟の一人が「心当たりの人に、速達か電報で送金を願いましょうか」と提案しました。ジャッカルド神父は、「その必要はありません。支払うことはできるでしょう」と答えました。
これを聞いた兄弟は、ジャッカルド神父には心当たりがあると思っていました。ところが、彼は、聖櫃(せいひつ)に 借金のリストに一通の手紙を添えてを入れ、納めていたのです。手紙には、「日ごとに借金の返済ができますように」と書いてありました。
それだからといって、彼が何もせずにまっていたのではありません。祈りに加えて、節食・節約に励み、毎日精一杯働きました。主からの回答は、願ってもない時にあり、借金の返済はいつの間にか完了したのです。
このような行為を今の時代に生きる私たちは、こころの中でフンと言って笑うかもしれません。しかし、彼の単純な主への信頼は裏切られることはなかったのです。
あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
彼らのまねをしてはならない。
あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
(マタイ 6.7~8)
彼は子どものような単純な心で主のみ言葉を信じ、その実現を待っていたのです。
1929年の冬には、聖パウロ女子修道会の小グループが、このぶどう畑にある 干し草倉庫に引っ越してきました。彼女たちも、聖家族に倣って、ベトレヘムの清貧生活をはじめたのです。
次のステップは、本格的な建築です。1929年9月8日、聖マリアの誕生日に、整地作業がはじめられました。翌年4月8日からは基礎工事が開始され、1933年に新修道院が落成しました。
◆2--11 教区認可修道会として