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新世紀ルーツへの巡礼
創立の歩みの中で
未来の“コミュニケーションの使徒”を養成
photo by:Shoko Sirai
アルベリオーネ神父は、英知にあふれ、忍耐をもって、明日のために、ともに働く人々を準備しながら、基礎をきずきはじめました。彼は、知識人とかすでに教育を受けて準備できている人たちではなく、若い人、いや年少者の間からともに使命を担う人々を選びました。
アルベリオーネ神父は、パウロの次の言葉を実感していたのでした。
あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
コリントの信徒への手紙 1 1章26~29節
アルベリオーネ神父のいう使命とは、人々をキリストから引き離す手段となっていた新聞や本、つまりこの時代の人々がもっとも使っていたコミュニケーション手段を使って、人々にキリストを伝えることです。
アルベリオーネ神父は、そのために最初の会員たちを探し、その目的のために彼らを養成することが非常に重要なことと思っていました。アルベリオーネ神父は、これをイエス・キリストが使徒たちを選び養成したことのなかに見ていました。彼はいく夜も徹して祈りました。彼は、神から託されたビジョンを共有し、ともに働く人々が必要だったのです。そして神から託された使命のための働き手を神が準備しておられることも感じ取っていました。かれは、こう書いています。
空想で未来を徘徊(はいかい)しているうちに、新世紀の寛大な人たちは、きっと自分が今感じているようなことを感じるのではないかと思われるのだった。
また、組織に加入することにより、トニオロ氏が繰り返しその必要を力説していたことを実現できるのではないかと思った。氏はよく次のように言っていた。「団結しなさい。もし、わたしたちが各自孤立しているのを敵が見つければ、きっと順々にひとりずつわたしたちを打ち負かしてしまう。」
アルベリオーネ神父の念頭には、やがて創立しようとしているパウロ家のことがつねにあったので、人材、ことに若い男女を探して養成することを心がけていました。1914年の修道会創立より数年前からすでに何人かの青少年に対して、未来の会員の養成として、コミュニケーション・メディアによる宣教、新しい時代における宣教について語っていました。
1912年に、すでにアルベリオーネ師のまわりには、かなりの数にのぼる若者たちのグループがありました。
この時、社会ではすでに、「思想を他に伝達するための新しい手段が、すでに顔をのぞかせはじめていました。印刷は次第に強力になっていく組織によって力を示し、映画は最初こそ不信の目をもって見られましたが、やがてますます広い階級を獲得していきました……ラジオとテレビも、ほとんど生まれながらおとなの姿で世に現れようとしていた」のです。
アルベリオーネ神父は、神学生の霊的指導と教師を兼任していたので、新しい世紀に教会が直面していた種々の必要について、神学生に話すのはたやすいことでした。生徒たちとごく個人的なかかわりもあったので、最初の家を開いたときには、かなりの若者たちが入会したいと申し出ていました。
最初の家では、教授法、教育法、使徒職への手引きの仕方などを現代化しようとの努力が傾けられていました。自ら志願して迎え入れられた人、アルベリオーネ神父の招きを受けて来た人もいました。 彼のおかれている霊的指導者というデリケートな立場と司教区への愛のため、彼は、志願者の受け入れを制限せざるを得ませんでした。
アルベリオーネ神父は、自ら少年たちの精神をつちかうことに特に心を配っていました。彼が助任司祭として働いていた1908年、ナルツォーレではジャッカルド少年と出会い、彼を神学校に送ったほか、1910年には、彼はベネヴェッロ村で青少年の黙想会の説教をしたときに、熱心に耳を傾けているアルマーニ少年(後のティト神父)に出会いました。この少年と十分に知り合ってから、彼をブラの小神学校に送りました。
アルベリオーネ神父
1914年の夏には、アルベリオーネ神父はアルマーニ少年をアルバに招き、彼はアルバ神学校のアルベリオーネ神父のもとへ行きました。
そこには、彼の他にもう一人の少年コスタ・デジデリオがいました。彼は、カステリナルドでアルベリオーネ神父と出会い、彼に招かれたのでした。アルベリオーネ神父は、彼のことを「良家の出身で、敬虔(けいけん)な、きちょうめんで、賢い少年」と言っています。そして、ちょうど「最初の家を開こうとしている時だったので、彼を招いてみると、すなおに入会した。」と書いています。
コスタ神父は、当時をこう回想しています。
アルベリオーネ神父は1913年、アルバから10キロほどあるところの、カステリナルド村の、若い女性の黙想指導に来ていました。私は、この時はじめて彼に会いました。
彼については、すでにアルバ神学校の神学生であった兄から聞いていました。アルベリオーネ神父の話はとてもわかりやすく、理解できました。
その年の秋に、私もアルバの神学校に入学しました。霊的指導者であったアルベリオーネ神父に、心をすべて打ち明け、直接彼の指導を受けるようになりました。
彼は、私を暖かく迎え、励まし、困ったときには私を支えて下さいました。
翌年、1914年の学期末(6月)に、アルベリオーネ神父は、私にこう言われました。「君は、次の新学年には、もう神学校に戻らなくてもよいと思う。それでも司祭になれるよ」と。私は、もっと勉強して教区の司祭になりたかったのですが……。
数日後、アルベリオーネ神父は、再び私に言われるのです。「君はどこかへ行かなくてはならないよ」
「どこへですか」と尋ねると、「あとからわかるから……」と。
そして、彼は、夏休みに帰省している私の家に来て、こう言われたのです。
「私といっしょに来なさい」と。
そこで、私は彼について行きました。
アルベリオーネ神父は、アルバ市のケラスコ広場に一軒の家を借りていましたが、そこに私を連れて行ったのです。当時、彼は30歳、私より7歳年上でしたが、一つひとつの言葉や彼のまなざしには、人をひきつけるものがありました。人を励まし、善業に人を引きよせ、夢中にさせるたまもの(カリスマ)をそなえ、彼のひと言は人を引きつけるものがありました。
現在のケラスコ
集まった私たち少年グループに、プリモ・マエストロ(第一の先生という意味で、アルベリオーネ神父はこう呼ばれていた)は、「新しい修道会のために、生涯をささげてほしい。良書を通じて私たちは、たくさんの善業ができるに違いありません。良書は、説教の代わりをし、その効果をいっそう上げるはずです。本、雑誌、印刷工場も、書店も説教の代わりに役立たせることがあります。この理想を実現させるには、まずあなた方が、聖人にならなければなりません」と。
アルベリオーネ神父のビジョンに共鳴する人、神が新しい世紀のために、その時代に生きる人々に奉仕するために、主が招いておられる人を探すために、個人的交わりや、司祭たちとの関係が有益でした。ことに、司祭に送っていた“ヴィタ・パストラーレ(司牧生活)”という雑誌は非常に役立ちました。しかし、新しい要素を多く含んだ召命についての明確な理念を打ち出すまでには、かなりの歳月が流れたのでした。不定期に発行されていた“ウニオーネ・コオペラトーリ(協力者の交わり)”というパンフレットも、そのために役立ちました。
第1次世界大戦の中で
第1 次大戦勃発後、4年間というもの1918年まで、イタリアもこの悲惨な大戦に巻きこまれることになりました。この大戦は、アルベリオーネ神父にとっても、はじめたばかりの事業にとっても、大きな試練となりました。生活費をはじめとして、印刷費も高騰し、印刷物の普及も困難でした。借金は増えるばかりでした。なかには、アルベリオーネ神父に対して、彼の大胆なやり方を非難する人もでて、事業をつぶそうとする人たちもいました。彼をペテン師と侮る人もいました。そればかりか、アルベリオーネ神父自身の命を狙う人もいました。そのたびに、ふしぎにも彼は命を守られたのでした。
印刷工場や修道院に火をつけると、脅迫する人もいたため、アルベリオーネ神父は、夜もおちおち眠れない状態でした。彼をはじめ、志願者たちは、ロザリオをとなえ、聖パウロの取り次ぎを願い、アルベリオーネ神父の意向に従って聖体訪問をしていました。
いろいろな困難にもかかわらず、アルベリオーネ神父は、主に信頼していました。
アルベリオーネ神父は、アルバ大神学校の勤務が終わると、印刷所に来ては、志願者たちを励まし、彼らたちの指導をしていました。夕方には、彼らにこれからの遠大なビジョンを語り、「これからはこうなる」と言って少年たちの心を燃やしていました。そして彼の語るビジョンは、実際彼が語っていたようになっていったのでした。
戦争(1914~1918年) が終わり、優秀な神学生たちが復員して来ました。彼らは、戦時中に経験した新しい試練や苦しみにもまれて徳を磨き、また使徒職についての開かれた理想をもって帰って来たのでした。
セバスチアーノ・トロッソ 、ピエトロ・ボッラーノ、アンジェロ・フェノリオ、チェサレ・ロバルド、ジョバンニ・バッティスタ・ギオーネ…、ジョバンニ・キャヴァリーノ、アルフレッド・マネラが入会しました。
彼らこそ、先に入会した人々とともに、これからの聖パウロ修道会をアルベリオーネ神父とともになっていく人々です。
◆2--2 創立の歩みの中で