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新世紀ルーツへの巡礼
第2の歴史的な日:最初のグループの誓願宣立
2) ティモテオ・ジャッカルド神父の日記より
1917年12月8日にティモテオ・ジャッカルド神父は、「パウロ家族の第2の歴史的な日」について日記に記しています。
私たちは、生き生きした愛で、無原罪の祝日に備えました。この日、誓願を更新する若者たちは、聖なるあこがれをもって、時間のたつのを待っていました。今日の修道誓願式は、公のものでなければなりません。そして歴史的な日付をしるさなければならないのです。
「晩の祈り」の後、無原罪の聖母像を聖パウロの部屋に置き、私たちはできる限り、それに空色の布でひだ飾りをつけ、木蔦(きづた)で飾りました。
聖母のまわりで過ごした30分の信心のうちに、誓願のプログラムも含まれていました。私たちの最愛の父(アルベリオーネ神父のこと)はコッタとストラを着け、自分に向けられた若者たちみなの感嘆のまなざしに答えて、こう言われました。
今、私がコッタとストラを着けているのは、非常に重大なことを言わなければならないからです。君たちが知っているように、市長や王は、公に重大な正式の行事を行なうとき、肩章(けんしょう)を着けます。今、非常に重大な事柄なのでよく説明しなければならないにもかかわらず、手短に君たちに話しましょう。
私たちは、たびたび、良い出版を促進しなければならないと言っています。今日出版のために働く人は多いです。彼らは、それに自分の時間、エネルギーの一部を注ぎます。ある人は名誉のため、ある人は利益を求めるため、ある人は趣味のために。私たちは、趣味や、名誉や、利益のために働きたいわけではありません。また、出版物が欲しいわけでもないのです。私たちは、良い出版物を手段として神を探究するのです。
君たちの中に、狂った感情によってではなく事情をわきまえて、完全に神に、良い出版に、自己をささげようと決意した若者たちがいます。彼らは、神と良い出版に自分たちのすべての時間、能力、体力、健康をささげる決意をしました。そして今晩、みなの前で、私の手のうちに自分たちの誓願を立てるでしょう。また何人かは、私的誓願を立てるでしょう。
完全に自分を神にささげるのは4人。5人目(トルクァート)は、この時間に、ノヴァラで神に自分をささげます。
たった4人ですが、聖イグナチオの手のうちに、モンマルトルの丘(パリ)で立誓した最初のイエズス会士も4人でした。ですから、これは歴史的な日です。私たちの家の第2の歴史的な日です。1914年、聖ベルナルドの日に家を開けた最初の日とともに、このことを記録すべきです。
記録されるというのは、以後、何世紀にもわたって私たちのあとに来る人々が、このパウロ家のつつましい出発を知ることができるようにするためです。
私たちの光栄のためではありません。私たちは、単なる働き手です。いつも謙遜でなければなりません。それによって神が、ご自分の偉大なわざを遂行なさるのに、最も軽んじられた人、最もつつましい人を、どのように使われるかということが見えるためです。
この家をはじめたのは、私の功績ではありません。無原罪の聖母に祈っておられた聖パウロと、神に祈っておられた無原罪の聖母の功績です。私はまちがいもしましたが、本質的には当っています。
神は、一度、雌ろばに預言(民数記 22.28参照)させました。今は、この雄ろば(アルベリオーネ神父のこと)に預言させることができるのです。
創立の日から、私たちの修道会は、多くの困難の嵐を通り抜けてきました。いつもなんでもよく解決されたのは、神が私たちから、このわざを望んでおられる確かなしるしです。みな、特に私たちは、どろぼうだと訴えられましたが、君たちは、私がどろぼうでないことをよく知っています。持っているものはみんな、君たちに与えました。私たちは密告され、そしてこの修道会を閉める危機にもさらされましたが、神は私たちを救われました。
ローマにも訴えられましたが、私たちの側に強力な司教がいなかったら、どうなっていたのでしょう。市長に、副知事に、たびたび知事にも密告されました。大勢の善良な人たちも私たちを理解せず、彼らは聖なる人だから善意をもって私たちの修道会の悪口を言ったのです。
また私は、君たち一人ひとりが、この修道会に来る前に、修道会の悪口を聞いたのを知っています。そして、君たちの多くは、たくさんの困難と戦わなければなりませんでした。また、他の重大な困難がその道を妨げました。嵐は私たちを謙遜にするために、そして、神が唯一の主人であることを記憶させるために必要でした。私は、主が私たちにもっと大きな嵐を送ってくれるように祈っています。それにもかかわらず、神からこの宣教に呼ばれていることを感じる若者がいます。彼らの召命は栄え、強固になるでしょう。
これこそ、神のみ旨の一番強力なしるしです。私はそれを疑いません。君たちも疑っていません。今晩の歴史的な儀式が、神への奉献を約束する若者たちを、いっそう親密に自らの宣教に結びつけますように。
また、その決意を強める力を注いでくださいますように。他の人々には、神に呼ばれているかどうかを考えさせ、ここで自分を神にささげる意志があるかどうかを確かめさせ、また自分たちにとっても神に自らをささげる準備となりますように。これは大きな責任ですが、神は、良書出版の働き手のため、天に、特別な報いと慰めを用意しておられます。
では、報告書を書き、立誓者はサインをするように。近づきなさい。
強い信仰をもって聖霊の光と力を願うように、「ヴェニ・クレアトール(聖霊を求める祈り」が歌われた。シニョル・テオロゴ(アルベリオーネ神父のこと)は座り、私たちは1人ずつ彼の前にひざまずき、自分たちを神にささげました。
私たちの父は、それに対して一人ひとりに応えていました。仲間たちの感激は、いいようもないものでした。しかし、なによりも私たちの印象、私たちの喜びは、なににも増して筆舌に尽くせないものでした。みな潜心し、頭を垂れ、心は高鳴り、体は震え、この時の荘厳さ、父の言葉、この時の重大さが私たちの中に浸み込んでいったのでした。もはや私たちは、自分たちのものではありませんでした。神のものであるということを感じていました。神に結ばれ、神の自由になるもの、神のために、良い出版のために、全てを投げ出す用意ができています。
私たちの生活はひとつでした。ひとつであることを感じています。
学校の生徒ではなく、ひとつの体のメンバーです。いかめしい建物を建てる最初の生きた石だと感じています。「最もいやしめられた者を、王たちの中に上げられた全能の神を礼拝せよ。」その後、「熱情をこめて」という歌が熱心に歌われました。
私たちは情熱に満ちていました。聖パウロと聖母の祈りが唱えられ、その時、私たちの父は、自分のすべての子らを祝福し、みなの中にあったよい意志、望み、決心を祝福し、優しい父、最も愛された父として私たちを祝福されました。
彼の言葉、彼の顔は神の人の喜びを表し、彼がいかに強く感動しているかを示していました。
休む前、いつものとおり、私たちにあいさつしながら、この日は自分の生涯で最も美しい1日だったと言われました。そしてこの日を、わが家の最も記憶すべき日であると言われたほどでした。
◆2--3 第2の歴史的な日:最初のグループの誓願宣立