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新世紀ルーツへの巡礼
パウロの娘の出発
3) アメリカ合衆国へ
シスターパオラ・コルデロ
最初にアメリカ合衆国の地を踏んだ聖パウロ会の司祭ボーラーノ師一行が、やっと困難を乗り越えたころの1932年6月、シスターパオラ・コルデロ、シスターアニタ・メローニ、シスターイグナチア・ビエッロ(師イエズス修道女会)が、ニューヨークに向けて出航しました。
シスターテクラ・メルロは、涙ながらに このパウロの娘たちに見送りの抱擁をしました。自分で出航を同伴できなかったシスターテクラ・メルロは、彼女たちの貧しいカバンの中に母としての手紙を入れたのでした。
祖国から旅立つ前に、あなたがたに心からの挨拶(あいさつ)を送ります。
主にあって、イエスに愛の絆(きずな)で結ばれた良いシスターであってください。
あなた方が行く新しい地は、何にもましてあなた方にとって聖性のための場です。
自らを聖なるものとしてください。そこでは大きな犠牲があなた方を待っていることでしょう。天国の思いや主にたくさんの魂をもたらす希望は、それらを甘美なものとするでしょう。
事がうまく運ばない時にも、がっかりしないでください。……
勇気を出して下さい。心を一つにして一歩一歩歩んでいってください。……
聖三位の名によって出発してください。……
シスターテクラ・メルロ
最初のパウロの娘たちは、バッチスチーヌ会のシスターたちの所に宿を借りました。
10月にはシスターエドビージェ・ソルダノが到着し、小さな共同体の院長となりました。 アルベリオーネ神父は、アメリカ合衆国への宣教にあたって次のような指針を与えています。
聖パウロは、すべての人に対してすべてのものになりました。ユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人と共に生きることを知っていました。
ニューヨークにいるパウロの娘たちを祝福します。主がよい精神とたくさんの召命を与えてくださいますように。
賢くありなさい。精神において良いパウロの者でありなさい。同時に具体的に良いアメリカ人となりなさい。人々を理解し、キリスト者として教育し、聖なるよいアメリカ人となりなさい。
アルベリオーネ神父
パウロの娘たちは、ニューヨークにおいて経済的な危機に襲われ、住まいもいつも一時的という不安定な中で、使徒職にも非常に困難があり、言葉も不自由で、教会の権威者からは理解されず、受け入れられないという清貧の時を過ごすことになります。
彼女たちは、まずイタリア移民の人々の間に、次にアメリカ人の間に、家庭宣教をはじめました。イタリアから持ってきたイタリア語の本と英語の聖書を、どのように普及していったらいいかを研究しながらの家庭宣教でした。最初のこの困難さを乗り越えるために援助してくれたのは、心の広い、寛大な協力者たちでした。
イタリアから出発して3年後、祈りと犠牲とイタリアに送り返されるのではないかとの恐れの中にいたパウロの娘たちに、1935年パトリチオ・ジュゼッペ・ハイス枢機卿は、教区でパウロの娘たちの使徒職を行ってよいとの許可を与えました。
この時から彼女たちは、“新しい時”を生きることになります。
他の会員がイタリアから到着し、家庭宣教は強化され、新しい志願者も入ってきました。そして、1938年には修道院をもつことができるようになりました。
困難な時期を過ごしていた時、彼女たちの力になっていたのは、いろいろの意味での「一致」でした。キリストとの一致、母院との一致、総長との一致、姉妹同士との一致……。
1944年には、小さいグループがオハイヨに支部を開設します。そして、アレキサンドリア、サン・アントニオ、ボストン、サンディエゴ……と拡がっていきます。
1954年には、ボストンに修練院が開かれました。
こうして、パウロの娘はアメリカ合衆国において、根づいていったのです。
◆3--6 パウロの娘の出発