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新世紀ルーツへの巡礼

目次

師イエズス修道女会 認可への道 1

2) 主に信頼をおいて……

聖体顕示

シスターテクラ・メルロは、全体への責任を教会の前に感じていました。つまり、神のみ旨は、2つの修道会が別々の会でないといけないということでした。彼女は、これについてとても大きな信仰を求められました。

シスタースコラスチカは、こう書き残しています。

この難しい時に、シスターテクラ・メルロから言われたことです。自分の方からどのようになるかは分かりません。しかし、私たちはこのままでは前に進めないということです。
そこで、シスターテクラ・メルロは、このために1000回ごミサを立ててもらったとのことです。

この難しいことについて、信頼を主に置く以外にありません。問題は難しいです。そして教会には従順しなくてはなりません

1936年、アルベリオーネ神父がローマに居を移し、ジャッカルド神父がアルバの院長になった時、アルベリオーネ神父は、彼に師イエズス修道女会の指導を任せました。
 彼は、アルベリオーネ神父の精神に従って黙想指導をはじめ、神学・典礼などの授業、教区法による修道会認可のために力を尽くしました。

師イエズス修道女会会員、シスターマリア・ルチア・リッチは、次のように語っています。

1936年、ジャッカルド神父様が私たちのお世話をしてくださるようになったころは、私たちの修道会はまだ聖パウロ女子修道会の中にありましたので、アルベリオーネ神父様は、私たちが自立して生活できることを望んでおられました。私たちの修道会の目的は、聖パウロ女子修道会の目的とは違っていたからです。……

ジャッカルド神父様は、まず師イエズス修道女会の内情を調査しました。そして、この共同体を賢明に観察し、創立者へ報告し、進言しておられました。
1936年から1946年にかけては、師イエズス修道女会にとって、紛争と無理解と障害の渦巻いた時代でした。彼は、いつも近くにおられて私たちを導いてくださいました。

1945年7月9日付の聖座宛の手紙で、師イエズス修道女会独立の申請をいたしました。この申請に対し、修道者聖省は次のように返事してきました。

「提出文書について、聖パウロ女子修道会のあらゆる状況についても綿密に検討した結果、……申請への同意は、相応しくもないし、有益でもないと判断する」と。

この返事には、いくつかの厳しい規定がありましたが、不便と苦痛を感じながらも、これを守っていました……。

ジャッカルド神父様は、……「信頼しなさい」と励ましてくださいました。 「試練に押しつぶされないようにしなさい。師イエスは、あなた方に同情と共同贖罪を求めておられます。恐れることはありません!
すべては神の中に消滅したのです。

私たちの修道会は消滅したと見なされていましたし、会員たちは聖パウロ女子修道会に合併されていました。

新しく復活するために、すべては神の中に隠されたのです。……

1943年、パウロの娘たち(聖パウロ女子修道会)に聖座による修道会司教認可がおりた時、その中には師イエズス修道女会も含んだ形で一つの修道会としての認可でした。

前回の許可、つまり教区認可も、この度の教皇庁認可も、聖パウロ女子修道会に師イエズス修道女会が含まれており、それは、アルベリオーネ神父の望みではなかったからです。これは神のみ旨ではないと、彼は確信していたのです。そこで、1945年7月9日に、アルベリオーネ神父は、師イエズス修道女会設立が教会法によって認可されるため、重ねて聖座に請願したのです。

その年の12月8日、第二次世界大戦は終結しました。戦争中のパウロの娘、息子たちの状況については、後ほど別ページでご紹介したいと思います。

◆4--2 師イエズス修道女会 認可への道 1


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