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新世紀ルーツへの巡礼

目次

師イエズス修道女会 認可への道 1

3) 聖座への訪問、試練……

タラップから降りる創立者たち

戦争が終わり、アルベリオーネ神父は各地に派遣した弟子たちがどのように歩んでいるかを見るため、まず彼とシスターテクラ・メルロはアメリカに出発しました。はじめての長い旅です。

シスタースコラスチカは、この時ローマにいました。この時、彼女はアルベリオーネ神父が再度申請した修道会の認可について、返事をもらうために聖座に出向きました。1946年4月13日のことでした。

この行動は、彼女のイニシアティブによるものか、アルベリオーネ神父の依頼によるものなのでしょうか。おそらく当時の会員は、アルベリオーネ神父に絶対的な心服と従順をしていたので、アルベリオーネ神父がアメリカに出発するに先立ち、彼女に言い残していったに違いありません。

シスタースコラスチカスは、教会への深い信仰をもっていました。この聖座への訪問は、彼女にとって当時の切実な必要事に関して教会当局と会うためであり、特別に難しく、また不確かな時期を過ごしている師イエズス修道女のグループの客観的な現状を述べるためだったのです。

シスタールチアーナは、「彼女はとても単純な姿で私たち修練女に祈りを頼み、修道者聖省に行きましたが、彼女が思ったようにはならなかったのです」と言っています。

たしかに、彼女の聖座への訪問は、喜ばれないばかりか、彼女の証言をも好意的に受けられず、むしろ反対されてしまったのです。

シスタースコラスチカは、聖省秘書から「よろしい、考えて見ましょう。もし、主が教会にもう一つの家族を設けることをお望みならば、それは喜ばしいことです」との返事を受けました。この言葉の中に、彼女は今まで神のみ旨を理解し受け入れるために祈り、待ち望んだ照らしを見い出し、これを天からの光として受け取ったのです。

水蓮の花

●しかし、この13日、修道者聖省は聖パウロ女子修道会総長シスターテクラ・メルロに書状を送りました。その中で、シスタースコラスチカが師イエズス修道女に対して持っているあらゆる権限から解任し、その共同体から遠ざけるように、そして、師イエズス修道女の責任をシスターテクラ・メルロ自身がとるように、と命じたのでした。

●当然の事として、シスターテクラ・メルロは、アルベリオーネ神父と相談し、聖パウロ会の修練院のあるローマのサンジュゼッペという所にシスタースコラスチカを行かせたのでした。

そこで、彼女は、司祭職への奉仕を行い、またアシジの聖フランシスコのように、鶏と会話し、祈りの中でアルベリオーネ神父とシスターテクラ・メルロの帰国を待ちながら生活していました。

彼女は、師イエズス修道女のシスターたちから引き離され、彼女らとの交流は阻止され、彼女にとっては「追放」とも「捕囚」ともいうべき時がはじまったのです。

シスタースコラスチカはこれらすべてを、「主がはからってくださっていること」として、静かに受託の精神で受け入れました。

彼女は、小ささ、孤独、沈黙、主への委託……のうちに生き、かならず過越の時が訪れるとの主への信頼が彼女を支えていました。

師イエズス修道女会のシスターたちは、特別な苦悩の時期を生きることになります。パウロ家族修道会の中での彼女らの実質的な、本質的な位置づけを教会の前に明きらかにすることが課題でした。彼女たちにとっては、アルベリオーネ神父の言葉と指導により、この事はいつもはっきりしていた事でした。

ある日、アルベリオーネ神父は、サンジュゼッペのシスタースコラスチカを訪問しました。その時、彼女はいつものように庭で仕事をしていましたが、アルベリオーネ神父に呼ばれたので彼女は彼のところにすぐに行きました。仕事着のままでした。この姿をみて、アルベリオーネ神父は、涙を流したのです。彼女の体験は、ある面では、捕囚生活と呼ぶことができます。教会に従順しながら、アルベリオーネ神父自身も苦しんでいたのです。

彼は、シスタースコラスチカをフランスに送ることにしました。フランスは、もう少し大きな共同体で、いろいろの使徒業もできると考えたからです。

シスタースコラスチカは、7月21日にシスターマリア・アウグスタ・アルロリオの同伴のもと、イタリアを後にパリに出発しました。

稲

7月29日、パリからジャッカルド神父にあてた手紙の中で、「私は、パリで8日目の生活になります……」と書き送りました。この日は、彼女が1922年7月29日、修道会に入会して24周年目にあたっていました。

彼女は、手記の中でこうつづっています。「この試練は、私の召命の意味をよりよく理解させ、すべてにわたって私を目覚めさせてくれたことに気づきました。神に感謝!

非常に大切なことはたくさんの祈りと、自己放棄を主にささげることです。もし、このようなことがなかったなら、決して豊かに高められることはなかったでしょう」と。

シスタースコラスチカは、この新しい捕囚の時を「救いの歴史」と見、受け入れ、彼女を守り、支え、力を与えて下さる主に自らをささげ、「主のみで十分です」との心で過ごす日々でした。

1946年、シスタースコラスチカがフランスにいる時に、師イエズス修道女会の「消滅」について、みなに発表することになりました。

彼女たちの新しいいのちのダイナミズムがはじまるのは、1947年のことです。

3月25日、修道者聖省はアルバのグラッシ司教に使者を送り、師イエズス修道女会のために、教会法に基づく修道会設立と教区長の承認に取りかかるよう指示したのです。

「神の偉大な栄光とあなたたちの成聖のために、実に様々な出来事に遭遇しなければなりませんでした」と、アルベリオーネ神父は語っています。

次回は、シスターマリア・ルチアーナの証言インタビューの中から、師イエズス修道女会の「消滅」が発表された時のことをご紹介します。

◆4--2 師イエズス修道女会 認可への道 1


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