師パウロ
聖パウロ女子修道会 シスターマリア・テクラ大瀧 玲子
シスターは霊名がテクラよ、ね?
そう、マリア・テクラ。
テクラは殉教者…だけれど、ライオンはテクラを食べなかった。
(わたしはテクラについて尋ねられると、こう付け加えるのが常である。)
テクラはパウロの弟子でしょう?
そう、使徒パウロの弟子・・・
だから、先生のこと、何か書いてくれない? 先生の言葉で好きな言葉とか・・・(気づいたときには、編集担当のシスターのねらっていたところにわたしは誘導されていたというわけである。)
テクラと聞くと、すぐ「ライオンが猫のような姿勢で、聖女の足元に伏せている」絵を思い出してしまうのだが、トルコに宣教に派遣された友人のシスターが、わたしに一枚の写真はがきを送ってくれたことがある。この写真がきっかけで、わたしは聖女テクラが使徒パウロの弟子で、宣教するパウロに従ったことを意識するようになった。
そのはがきはトルコに廃墟の形で残っている聖女テクラにささげられた教会堂の写真であった。
伝説の聖女かと思っていたテクラにささげられた聖堂の廃墟写真。これはテクラが実在した人、トルコに教会堂がささげられるほど人々に知られた人だった、ということをわたしに語ってくれた。
今、わたしは、テクラが師パウロの何にいちばん惹かれたか、などということを推し量ることはできないが、「先生の言葉で好きな言葉とか…」と聞いたときから、いろいろとたくさんあるわたしの好きなパウロの言葉の中で、今、「これだ」とわたしに思わせたのは、次の言葉である。
今わたしがこの世に生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身をささげられた、神の子に対する信仰によって生きているのです。
ガラテヤの信徒への手紙 2.20
「わたしのために身をささげられた神の子」
この言葉はパウロの存在を揺り動かし、心にしみて深く深く味わい、揺るがしがたく刻まれたことを述べているのだと感じる。
この方のために、パウロはどれほどの思いをすることになっていったか。
こう思うときに、心に浮かぶのは、アッピア街道である。
イタリアでパウロを偲ぶところはいろいろあるが、わたしがパウロをいちばん感じさせられるのは、ヴィア・アッピア…アッピア街道である。現在も、ローマを目指してアッピア街道を進んでいくと、左手に古代ローマの遺跡、高架水道が見える。 パウロはこの街道をどんな思いで歩いたのだろう。
この道沿いにはキリスト教初期のカタコンベなど信仰の遺跡がいろいろある。
だが、わたしの心を惹いてやまないのは、石畳のアッピア街道そのものである。そこに、わたしはパウロを感じるからだ。
何年かの間わたしたちの修道会の総本院は、ローマの使徒パウロ斬首殉教跡に隣接していた。そこも、わたしに多くの思いを起こさせる大好きなところである。それでもなお、アッピア街道が第一だ。
熱い思いを抱いて歩き続けたパウロを、わたしは好きなのかもしれない、と最近思うようになった。
そして、パウロが述べる彼の体験の記述、コリントの信徒への手紙二11章を読むと、わたし自身が弱いものなので、これほどの苦しみを耐えたパウロに主キリストを思うその心を感じて、何ともいえない感情にとらわれる。その何百分の一も、千分の一も耐えられないにきまっている自分を情けなく感じるのも真実だ。
彼がコリントの教会に当てた第二の手紙で書いている以下の言葉を読んでみる。
「うらやましい」という思いがわたしの中に広がる。
わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二 12.9-10
11月24日に列福されるペトロ岐部と187日本人殉教者について読んでいても、一人ひとりがその殉教の苦しい体験のさなかに言ったりしたりすることは、まさにパウロが言う「キリストの力がわたしの内に宿る」ということなしに人間には考えられないことばかりである。
「うらやましい」と言ったが、パウロがこれらの恐ろしい体験の中で、苦しいと感じたのは言うまでもないが、その中で、わたしが知ることのできないほどのイエスの力を感じさせていただいたことを「わたしは弱いときにこそ強い」という断固としたその宣言の中に感じるからである。