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キリシタンゆかりの地をたずねて

熊本県 八代市

ゆかりの地

物語

麦島城


麦島城跡の碑

宇土に入った小西行長は、重要拠点を八代としました。相良家の本状で球磨川を見下ろす山にあった古麓城を廃して、球磨川の河口の北岸、八代海に面した球磨川の三角州である麦島に新たに城を築きました。

 麦島城は、小西家の重臣・ディエゴ小西美作に命じて築城され、ディエゴ小西美作はそのまま麦島城代となりました。

 関ヶ原の戦いに敗れ小西行長が斬首されると、麦島城は開城されディエゴ小西美作は薩摩に逃れました。
 小西領は没収され、八代は加藤清正に与えられました。

 1915(元和元年)に、幕府は一国一城令を出し、多くの城が廃城となりましが、八代城(麦島城)は、幕府にとって薩摩に対する押さえとして重要な城であったため残されました。
 しかし、1619(元和5)年の肥後一帯を襲った大地震のため麦島城は倒壊し、そのまま廃城とされました。

 その後、現在の八代城(松江城)が、幕府の許可の元、加藤忠広により築城されました。この際、麦島城の石垣などは、八代城築城に使われました。

 麦島城の武家屋敷の中に、殉教者・ヨハネ南五郎左衛門とシモン竹田五兵衛の屋敷もありました。


  • 住所:熊本県八代市古城町
  • アクセス:JR鹿児島本線、肥薩線「八代駅」下車、
          駅前よりバス「農事研修センター前」降車、徒歩5分

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