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キリシタンゆかりの地をたずねて
大阪府 高槻市
高槻城跡公園
高槻城跡公園 高山右近像
平安時代中期の正暦年間に近藤忠範が館を築いたのが高槻城のはじまりといわれています。
南北朝の動乱期には駿河国入江荘の地頭・入江氏が足利尊氏の命により高槻城に入り、室町時代から戦国時代初期にかけてこの地方一帯を支配していました。
室町時代入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、和田惟政(わだ これまさ)に与えられました。惟政はルイス・フロイスを信長に謁見させるなど、キリシタン宣教師を手厚く保護しました。
惟政は白井河原の合戦で敗れて戦死し、その子和田惟長が後を継ぎました。しかし、1573(天正元)年に高山右近父子に城を逐われました。高山飛騨守、次いでその子の高山右近が高槻城主となり、1573年からは本格的な城塞が築かれ、1574(天正2)年に、はじめての教会が建てられました。その後領内に20もの教会が建設され、高槻領人口の60%以上がキリスト教徒となりました。
小倉で殉教したディエゴ加賀山隼人は、高槻に生まれ、17歳のときに右近に仕官しました。
豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、その後、土岐氏、松平氏、岡部氏、永井氏と城主が入れ替わりました。
1874(明治7)年に廃城となりました。
現在、城域の一部が城跡公園として整備され、遊戯広場ゾーン、散策・休養ゾーン、城跡公園野球場、歴史民俗資料館、交通遊園などの施設が造られ、高槻城跡の石碑と高山右近像が建てられています。
- 住所:〒569-0075 大阪府高槻市城内町3
- アクセス:JR京都線「高槻」下車 徒歩約15分
阪急京都線「高槻市」下車 徒歩約10分
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