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キリシタンゆかりの地をたずねて
長崎県 南高来郡有家町
有家の殉教地
有家の殉教地
有馬晴信の旧領地を受け継ぎ有馬領主となった直純は、自らも棄教して、キリシタン弾圧を行いました。翌年7月、直純は、日向延岡に移封となりましたが、迫害は厳しく、有馬と有家での処刑者は数十人に及びました。
この地では、1614(慶長19)年12月22日、敬虔な信者・城戸半右衛門が、鼻を削がれ手の指を切断され、裸にされて残酷な仕打ちを受けて絶命しました。
1616(元和2)年、松倉重政が領主となると迫害はさらに激しくなりました。
1628(寛永5)年5月19日から31日にかけて、この地で250名の信者が拷問を受け、50名ほどが苦責の末絶命しました。さらに同年9月17日から21日にかけて「転び証文取り返し事件」に連座した207名が拷問を受け、7名が首謀者として竹鋸(たけのこ)引きで処刑されました。
1602(慶長7)年9月19日、長田村の信者シモン長田清左衛門は、ここで火炙りの刑を受け、大やけどを負って亡くなりました。
後に刑場の目印として、1本の松が植えられましたが、1965(昭和40)年ごろ枯死しました。
- 住所:南高来郡有家町1丁田墓地
- アクセス:有家中央青果協同組合裏
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