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ミカエル薬屋


ミゼリコルディアの本部跡
ミゼリコルディアの本部跡

ミカエル薬屋(くすりや)は長崎出身で、ミゼリコルディアの組の会長をつとめていました。

 ミゼリコルディアとは、「慈悲」や「あわれみ」の意味のラテン語で、貧しい人びとや病気の人たちを助ける組織でした。
 1498(明応7)年にポルトガル女王レオノルによって設立され、ポルトガル人に親しまれ、海外に行ったポルトガル人によってゴア、コチン、マラッカ、マカオなどに支部がつくられていました。

 1583(天正11)年に堺の信者ジュスチノ・カザリヤによって長崎で設立され、病院や他の施設を経営していました。1585(天正13)年にはすでに会員は100名を越え、ポルトガル人の援助もあって、長崎の文化に影響を及ぼすほどの立派な活躍をしていました。

 1614(慶長19)年の家康の禁教令によって、多くのキリシタン施設と同じように閉鎖されましたが、会員たちの活動は続いていました。

 会長であったミカエルは、密かに貧困者、特に殉教者たちの孤児や未亡人のために施しを集めて彼らを助けました。

 福者レオナルド木村の手紙の見舞いに行って援助した信者の中に「興善町(こうぜんまち)の薬屋ミカエル」の名前が書かれています。興善町は、ミゼリコルディアの本部があった所でした。迫害下にあってミカエルは黙々とそのつとめを果たしていました。

西坂の丘
西坂の丘

1633(寛永10)年7月28日、ミカエルはイエズス会のイルマン・ニコラオ永原ケイアンとともに、長崎のクルス町の牢から西坂の丘に連れられて行きました。

 貧しい人の隣人であったミカエルはここで火あぶりの刑に処せられました。彼は、ここで「ラウダーテ(主をほめたたえよ)」という詩編を唱えていました。
 この年は、長崎ミゼリコルディアの組の創立からちょうど50年目でした。



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