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新世紀ルーツへの巡礼

目次

救いのメッセージを地の果てまでに

1) 「救いのメッセージを地の果てまでに」との魂

説教する創立者

アルベリオーネ神父は、パウロの息子、娘たちにこう語っていました。

* 神が人間に与えられたことばというたまものは、人間同士のコミュニケーションにも神とのコミュニケーションにも、きわめて重要なものです。
それが、救いと平和という福音のメッセージを伝えるために使われるならば、宣教という使徒職になります。
「全地にその声は響き、そのことばは地の果てに及びます。」
* あなた方の使命は、愛の務めです。
あなたたちの心に愛があればあるほど、それだけ使徒職においても熱心になるでしょう。
この使徒職は、苦労の多い務めなので、心が燃えれば燃えるほど、ますます力がでるでしょう。
世界に国境はあっても、この務めには限界はありません。

「救いのメッセージを地の果てまでに」という魂をもって、世界中に向けての修道院の開設がはじまりました。

1934年半ばには、チェザレ・ロバルド神父とドメニコ・ラヴィナ神父がポーランド行きの任を受け出発しました。

1943年10月、アルベリオーネ神父は、ザヴェリオ・ボアーノ神父に、ポルトガルのリスボンでの聖パウロ修道会の創立をはじめさせています。

1946年には、アィルランド、メキシコ、チリ、スイスに聖パウロ会会員を派遣し、1947年にはイギリスとコロンビア、1951年にはヴェネズエラ、1952年にはオーストラリア、1953年にはキューバ、1954年にはドイツ、1957年にはコンゴ(いまのザィール)、1961年には韓国へと、パウロの息子たちは旅だっていきました。

どこの国でも、メンタリティーの違いから、反対されたり疑われたり、迫害されたり断罪されたり、没収されたり、順応や困難の犠牲と献身がありました。しかし、彼らはあの最初の時のように、「契約の祈り」の中で、全力をつくしながらも自らの無力、無能、弱さの中に働かれる主に託し、徹底的な信仰の道を歩んだのです。そして、主もかつて弟子たちとそうであったように、今またパウロの息子、娘たちを守り、力づけ、その労苦を実りあるものとしてくださいました。

◆2--15 救いのメッセージを地の果てまでに


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