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新世紀ルーツへの巡礼

目次

救いのメッセージを地の果てまでに

3) 教皇直轄修道会認可申請手続きが開始

創立者

●1931年から34年にかけて、聖パウロ会と聖パウロ女子修道会は、外国への拡張期を迎え、そのため、「普遍性」は二つの修道会のしるしとなっていきます。そこから教区というより、聖座(バチカン)とのより強固な結びつきの必要が痛感されるようになりました。

●1935年に入ると、この二つの会の、長い期間にわたる教皇直轄修道会認可申請手続きが開始されます。
 この手続きは、1941年5月10日に聖パウロ修道会へ、1943年12月13日に、聖パウロ女子修道会に認可が与えられた時に、完結されます。

1938年10月、アルベリオーネ神父は、修道者聖省に聖パウロ修道会の教皇直轄修道会認可を正式に申請しました。

当時、聖パウロ修道会の会員は285名、そのうち司祭120名、神学生95名、修道士70名、そして、修練者、志願者がいました。
 聖パウロ修道会が散在するイタリア各地の司教の推薦状や、外国の司教の推薦状が修道者聖省に送られ、それが手続きを早めました。

1941年5月10日、教皇は修道会認可のサインをするために、修道者聖省秘書パセット神父を呼ばれました。教皇は、聖パウロ修道会の会憲を称賛状をもって認可されたのです。この会憲は向こう7年間という試験的な認可でした。聖座は、この期限を設けることにより、さしあたり会憲は認めるものの、7年間の試みの後、聖パウロ修道会がどのように歩むかを見た後で、最終決定をすることにしたのです。

6月9日には、フェデリコ・ムッツァレッリ神父は、教皇ピオ12世により認可され、サインされた会憲のコピーをアルベリオーネ神父に手渡しました。この7年間にアルベリオーネ神父は、ムッツァレッリ神父の助けを得、会憲をラテン語に書き直し、修正加筆したのでした。

パセット神父は、アルベリオーネ神父に教皇との個人的謁見を求めるように勧めました。そして、7月12日、アルベリオーネ神父は、彼の勧めどうりに申請し、教皇との謁見が許され、彼は称賛状への感謝を表しました。

彼は、教皇に「教皇聖下の称賛状は、神からの称賛状として、私たち一同は非常に喜んでおります。司祭たちは、これに応えるために霊操をいたしました。……」と述べました。教皇は「出版による使徒職は、非常に必要なものです。いつも使徒職でありますように。あなた方が出版する週刊誌や本をとても気に入っています。主と教会のためによく奉仕してください」と言われました。
 アルベリオーネ神父が、教皇に「お言葉を」と願うと、彼は力をこめて、「内的生活、信心の精神を養うこと、ことにあなた達の聖性のために」と語られました。

アルベリオーネ神父は、教皇謁見について7月27日付けの回状で兄弟たちに書いています。「この出来事は、すべて教訓と命です。『内的生活』は、私たちの光、慰め、聖性となりますように。そして、この言葉は聖パウロ修道会に、私たち一人ひとりに、いつも命令の言葉です」と。

称賛状を受けたことにより、世界各地の会員から、また聖パウロ修道会のあるところの司教、司祭たちからの感謝と喜びの手紙や電報が届きました。

アルバのグラッシ司教は、「神に感謝! この度、聖座から認可されたことに関して、主とあなたに、この『神に感謝』と言う言葉以外に言い表すことを知りません。今日は、あなた方が大きな一歩を踏み出しはじめられる時となるでしょう。心からのお祝いを申しあげます。聖パウロ修道会は、出版分野で、そしてカトリックの世界レベルでの革命的な存在となるでしょう。その名前のようにふさわしいものとなりますように。……」と、アルベリオーネ神父に会憲の受領を述べると共に、書き送っています。

教皇ピオ12世
教皇ピオ12世

1943年12月13日、教皇ピオ12世は、聖パウロ女子修道会にも称賛状を与え、会憲の第3版を承認しました。しかし、この度も聖パウロ女子修道会と師イエズス修道女会は、同じ共通の会憲を与えられています。

師イエズス修道女会は、すでに彼女たち固有の、明確な姿を作り上げていため、聖パウロ女子修道会の会憲の下に生きることは、困難でした。

アルベリオーネ神父は、1945年 師イエズス修道女会が一つの独立した修道会として設立されるように、認可申請を提出しました。そして、この設立は、1947年3月25日に認可されることになります。

次回は、師イエズス修道女会の歩みについて述べてみたいと思います。

アルベリオーネ神父は、第一次大戦のはじまった年にパウロ家族を創立し、教会の内外からの非難、反対にも屈せず、戦後の混乱した社会の中で悪戦苦闘しながら、マス・コミの使徒職を軌道に乗せたかにみえました。

しかし、まもなく、その使徒職には次の大きな試練が襲いかかってきたのです。ドイツでは、ナチスが、イタリアではファシズムの嵐が吹き荒れ、ヨーロッパ全土に第二次世界大戦の足音が刻々と迫っていたのです。

第二次世界大戦中、大戦後にパウロ家族の者たちはどのような歩みをしたのでしょうか。追ってお知らせしたいと思います。楽しみにお待ちください。

◆2--15 救いのメッセージを地の果てまでに


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