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新世紀ルーツへの巡礼

目次

3-聖パウロ女子修道会

3)火事、そして危険が……

スーザの書院があった場所
スーザの書院があった場所

スーザでの聖パウロの娘たちの生活には犠牲も多かったのですが、危険もつきまとっていました。

スーザでは、台所、食堂、裁縫室、製本所、勉強室として使うため、ひとつの部屋が修理され、家具が入れられました。階段の向かいの部屋は寝室でした。

1919 年11月のある朝4時ごろですが、パウロの娘たちは部屋に立ちこめた煙の強い臭いで目が覚めました。少女たちは恐怖におびえ、叫び声をあげていました。近所の人々が駆けつけ、バルコニーにはしごをかけてくれました。もう、階段をつたって降りることができなかったからです。そのお陰で皆、無事に避難することができました。8時にはただわずかの損害と焼け跡のにおいを残しただけで、鎮火しました。

この火事はパウロの娘たちにとり、多くのことを目覚めさせる機会となりました。台所用品は使用できない状態でしたが、スーザの町の人々は非常に好意的で親切の手をさしのべてくれたのです。

シスター テクラ・メルロは、修道会の起源の中に1ページをさいて、この出来事についてしるしています。彼女は、町の人々の好意の申し出を前にして、「私たちはすっかり感激しました」と思い出しています。

しかも、この出来事を、「主はおそらく、スーザの人々が私たちの家が修道院として人々に知られるために、主がこの火事をお許しになったのだと思います。」と受け止めています。このような彼女の受け止め方を思う時、彼女が大切にしていた祈り、毎日ささげていた祈りを思い出します。

◆3--2 パウロの娘のその後


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