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新世紀ルーツへの巡礼

目次

最後の旅

2)アフリカと東洋の魅力:一人旅での東洋の訪問

インドで訪問中のテクラ

東洋への訪問、このたびはシスターテクラ・メルロは一人で行こうと決心します。一人のシスターが秘書役として、彼女を援助しました。
旅程は、インド、フィリピン、日本、オーストラリア、それに、韓国と台湾です。

このころ聖パウロ女子修道会は、各国では多くの志願者が入会し、活発な活動が繰り広げられていた時期でした。
そのような状況の中での東洋への訪問です。

1962年1月に出発し、ローマに戻ったのは5月でした。

インドで

フィリピンにおいて、その後の病の前兆でしょうか。シスターテクラ・メルロは不調を感じはじめました。彼女は、「……ここの気候のせいででしょうか。力がなくなるのを感じます」と言いながらも、不安定な健康状態のままで、台湾、日本、韓国、オーストラリアの旅行を続け、訪問を終わることができました。

おそらく、シスターテクラ・メルロは、この旅の中でこの国々を旅行するのは最後であると予感し、あの偉大な使徒パウロのように(使徒 20,17-38)、会員たちに「あなた方は私の顔をもう見ないでしょう」と、言わなければならないのを感じていました。

しかし、東洋の長い旅から戻った後、アリッチャでの黙想会に参加した会員に、東洋の話をした時に、まるで病を抱えているとは思えないほどでした。

フィリピンでの「福音の日」について、それがとてもうまくいったこと、フィリピンでは多くの入会者があり、他の国々の宣教のために最初に行く人を派遣できるほどであることを熱意を込めて語るのでした。

日本でのシスターテクラ

このフィリピンとはまったく異なった状況が日本です。彼女は、日本での家庭宣教で一日中歩いても、カトリック信徒に出会えるのはまれで、それでも、日本の人々が喜んで福音書や他の本を求めることは、大きな驚きであると伝えています。

そして、こう言います。「この人々が、まだキリストを知らない人々が、イエスとの最初のコンタクトをもつ瞬間、たとえば、福音書を開いて真福八端とはじめて出会うときのことを想像するのはすばらしいことです」と。

シスターテクラ・メルロは、また、台湾訪問のことをも伝えます。台湾での創立は1959年です。1960年には日本から4人の姉妹たちが派遣されました。シスターテクラ・メルロは、「私たちはみな一つの家族です。私たちはみなパウロの娘です。私たちは全世界の修道女です」、また台湾では会員たちはまだいろいろのことはできず、「言葉を学んでいるところ、言葉との戦いをしています」と伝えています。

中国語は確かに難しい言葉です。ことに書き読みが。韓国語はどうでしょうか。

韓国で韓国で子どもたちと共に

韓国は1960年に4名の会員が日本から派遣され、開設されました。

シスターテクラ・メルロは、「韓国はなんと貧しいことでしょうか。しかし、人々は貧しくとも、精神的に非常にすぐれたものを豊かにもっています。ここは一般人100万の死者、何百万という難民と路上生活者を生んだ戦争からやっと脱出したところです。人々は不平もいわずに、驚くべき効率を上げて働いていますが、まだ進歩した産業がありません」と言っています。

韓国のキリスト教の歴史の中で特記すべきものがあります。この国にキリスト教が入ったのは18世紀のことで、ひとりの信徒が信仰の種を運んできました。そこから、司祭がなく、ほとんど非合法の存在だった信徒たちにより何千人もの共同体が花開いたのです。

ソウルの教会のごミサに行ったシスターテクラ・メルロは、「司祭はひとりだけで、彼は日に3回のミサをささげ、3回説教し、しかも、あらゆる集いの会の指導をしているのです。まるで、アルスのビアンネ司祭のようです。その精神と熱意は初代教会を思い起こさせます」。このような環境から修道会に入会する人たちがいるのです。

◆10-1 最後の旅


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