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教会カレンダー

A年 待降節第4主日

第1朗読 イザヤ書 7章10~14節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 1章1~7節

福音朗読 マタイによる福音書 1章18~24節

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待降節も第4週を迎え、いよいよクリスマスはすぐそこに近づいています。
  私たちが今年もお迎えしようとする救い主、イエス・キリストとは、いったいどんな方なのでしょうか。

イエスとは「救う者」、インマヌエルとは「私たちとともにいる神」という意味です。

教会は長い伝統の中で救い主イエス・キリストの誕生を記念し祝ってきました。主の降誕祭前の最後の主日である今日、教会はイエスの誕生を告げます。

これまでの3週間、回心を問い続けられた私たちに、今日、キリストの誕生の預言が告げられます。しかもその誕生は、見捨てられたような小さな町において、へりくだって神のみ心を信じる人々を通して実現すると告げられます。

へりくだって神のみ心を信じた生き方とはどんな生き方なのでしょうか。
  今日の聖書は、それを伝えてくれているのではないでしょうか。

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第1朗読では、あの有名なイザヤ書7章のインマヌエル誕生予告が読まれます。

今日の朗読を理解するには、当時の時代背景を知ることが大切です。
 この預言がされた紀元前8世紀ころ、北イスラエルはアラム(シリア)と手を組み、エルサレムを攻撃しようとします。その目的は、反アッシリア連合軍への参加を拒んでいた南のユダ王国を仲間に入れるために、アハズ王を退位させ傀儡政権(かいらいせいけん)をつくるためでした。
  南のユダ王国は反アッシリア連合軍の進入を受け、全国は恐怖にさらされ、かつてなかったほどの大混乱に陥っていました。このような状況は、今の世界と共通点があるのかもしれません。

ユダの王アハズに神は信頼を求めて語りかけられ、勝利のしるし、「インマヌエル」の誕生を告げます。神はこのしるしの受容をアハズから断られますが、それでも神はご自分の方から与えるのです。

反アッシリア連合軍の攻撃を恐れた王アハズは、「神により頼みなさい」とのイザヤの忠告にもかかわらず、アッシリアの武力に解決を求め、援助を求めてしまいます。

神の与えられたしるしは、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」ということです。

この出来事がしるしと言われるのは、“インマヌエル(神は私たちと共に)”という名にあります。“インマヌエル”とは、旧約聖書においてこの箇所だけに登場する名前です。

この朗読を受けた答唱として詩編24、「栄光の王」の入場を迎える巡礼者の喜びが歌われます。

今日、私たちの中に、私たちの歴史の中に、こんなにも大変な世界:戦争、紛争、テロ……など、国も人も信頼できない不信という闇の世界のただ中に、救い主イエス・キリスト、インマヌエルを迎えるとはどういうことなのでしょうか。

今日私たちの心の中に入って、世界のこのような状況について祈ってみるのはいかがでしょうか。

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第2朗読では、ローマの信徒への手紙の冒頭が読まれます。パウロがこの手紙を書いた時、まだローマを訪れてはいませんでした。この冒頭で自分が何者かを紹介しています。

今日読まれる箇所に“召される”という語が3回も用いられています。
(1)召されて使徒となったパウロ(1節)
(2)イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがた(6節)
(3)召されて聖なる者となったローマの人たち(7節)
  パウロと彼らをつなぐきずなは、“神から呼ばれた”ことなのです。

3~4節で、当時のローマで用いられていた信仰宣言を用いて、パウロは、ローマの信徒にあいさつをのべます。

当時、ローマ帝国では、皇帝に関わる出来事の告知が“福音”と呼ばれていましたが、パウロは、“神の福音”を述べます。彼は、神が福音の予告を旧約聖書の預言者をとおしてすでの約束されていたことであると述べながら、キリストの誕生、復活について言及しています。
  このことを伝えるためにパウロは使徒とされ、派遣されているのです。

今日読まれる箇所には、聖パウロのキリストを伝える言葉のすべてが凝縮されているようです。

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主の降誕も間近なので、待降節第4主日には、福音書において イエス誕生の前史が読まれます。「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」とはじまります。
  今年は、イザヤ書7章のインマヌエル誕生予告を引用するマタイによる福音書です。

イエスがダビデの子であるとともに、インマヌエルであることが明記されている大切な箇所です。

洗礼者ヨハネに代わって今日登場するのは聖ヨセフです。彼は、イエス誕生の次第を天使のお告げによって悟り、マリアを妻として迎えます。

婚約者マリアの懐妊を聖霊によるものとは知らなかったヨセフは、非常に困惑します。彼はそれを表沙汰にしようとは思わず、ひそかに婚約を解消しようとします。そのヨセフに天使が夢の中で現れ、この出来事は聖霊によるものなので「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と言います。さらに天使は生まれる子を「イエスと名付ける」ように、そのイエスが人々を「罪から救う」ことをも告げます。

マリアの身に起こった出来事は、すでに預言者イザヤで約束されていたのです。「神が救う」という意味のイエスは、インマヌエル「神は私たちと共におられる」としてこの世に来られ、私たちの中に生きておられる方なのです。

マリアと離縁しようとした聖ヨセフの恐れ、不安、ためらいは、神の子を心から受け入れる人が一度は味わう闇の体験でしょう。

闇から光へと移行する決定的な降誕の夜を、聖ヨセフはすでにここで味わっているのです。

イエスは、ダビデの子孫である「正しい人」ヨセフの子として誕生します。

イエスの誕生に立ち会うヨセフに心を合わせ、イエスの誕生の神秘に触れてみたいものです。
  降誕祭がすぐそこまで近づいている今日、教会は私たちもヨセフのように信仰をもってイエスとその母マリアを迎え入れるようにと勧めるのです。

祈り

すべての人に愛を注がれる神よ、
  この集いから派遣されていくわたしたちを聖霊で満たしてください。
  主の降誕を心から祝うわたしたちが、
  多くの人と喜びを分かち合うことができますように。
集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 7章10~14節

主は更にアハズに向かって言われた。

「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。
深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」

しかし、アハズは言った。
「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」

イザヤは言った。
「ダビデの家よ聞け。
あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず
わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。

それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。

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第2朗読 ローマの信徒への手紙 1章1~7節

キリスト・イエスの僕、
神の福音のために選び出され、
召されて使徒となったパウロから、――

この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、

御子に関するものです。
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、

聖なる霊によれば、
死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。
この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

わたしたちはこの方により、
その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、
恵みを受けて使徒とされました。

この異邦人の中に、
イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――

神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、
あなたがたにあるように。

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福音朗読 マタイによる福音書 1章18~24節

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、
二人が一緒になる前に、
聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

夫ヨセフは正しい人であったので、
マリアのことを表ざたにするのを望まず、
ひそかに縁を切ろうと決心した。

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」

このすべてのことが起こったのは、
主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

ヨセフは眠りから覚めると、
主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。

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