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新世紀ルーツへの巡礼

目次

アルベリオーネ神父の生まれ育った環境

ケラスコ

ケラスコの畑道
ケラスコの畑道

ヤコブが2歳の時、この一家はケラスコへ引っ越しました。ここの農場を借りることができたからです。

ケラスコは、古風な趣きのある小さな町です。絹の紡績工場が盛んで、窯(かま)、酪農工場、水車小屋が散在し、野菜なども広く栽培されていました。地理的にも気候的にも恵まれているために、多くの貴族たちが住まいを定め、教会も美しく飾られていました。1600年、マンゾーニが『婚約者』(女子パウロ会発行『愛のちかい』) の中で書かれているように、ペストが流行したころ、その感染を逃れてサヴォイア公の王子たちが家族といっしょに2年間をここで過ごし、聖骸布(せいがいふ:イエスの亡骸が写された布と言われている)を保存していました。ロザリオの聖母にささげられた、“アーチのマリア”の取り次ぎによってペストが止んだことが記録に残されています。

ケラスコは、若きアルベリオーネにとって、最も関係の深いゆかりの地です。ここで彼は、司祭職への召命の最初の照らしを受けたのでした。またここで卓越した主任司祭ジョバンニ・バッティスタ・モンテルスィノから多大な援助と指導を受け、彼の人格が形成されていったのです。

ケラスコ・モンテカプリオーロ(現在はラグリコーラと言われてます)

ここは、アルベリオーネが2歳半から神学校に入る12歳までの幼少期を過ごした家です。ここでは、夏期の畑仕事が遅くまで続けられ、暗くなると小さいヤコブは「ランプのあかり」で家族の手もとを照らす役目をもっていました。また彼が神学校から帰ってくる途中、家に着く前に、家族が畑で仕事をしているのを見つけると、カバンをおいて手伝っていました。

ブラの神学校を去って後、6カ月間、悩み苦しんだのもこの家でした。

 また、彼はここで神学校の時代、自分の家の窓から教会を眺め、祈り、勉学に励んでいました。

小学校へ

ヤコブは、6歳の時にケラスコにある小学校に入学しました。
 ヤコブがとても慕っていたロジーナ・カルドーナ先生が、将来何になりたいかと生徒たちに尋ねたのでした。

彼は、二番目にあてられ、少し考えてから、級友たちの驚きをしり目に、「ぼくは司祭になります」と決然と答えました。この体験をヤコブは後で振り返り「最初のはっきりした光」だったと彼の手記の中でつづっています。

この体験はヤコブのそれからの人生を方向づけ、ととのえていったのでした。
 1895年、小学校を終えて11歳になったヤコブは、小学校卒業試験にパスし、ケラスコの中学校に入学できました。

そして、中学校の1年度を終えた時、ケラスコの教会の主任司祭の勧めでブラにある神学校に入学しました。

サン・マルティノ教会

サン・マルティノ教会ステンドグラス
          サン・マルティノ教会とそのステンドグラス

この教会で、ヤコブは、*1初聖体(はつせいたい)と*2堅信(けんしん)を受け、初ミサをささげ、司祭として最初の説教を行いました。ここで彼はこの時代に生まれる子供たちを守護の天使に委ね、彼らのために祈ったのでした。

恵みの聖母のサントゥアリオ(マドンニーナの礼拝堂とも言われています)

マドンニーナの礼拝堂内部
マドンニーナの礼拝堂内部……

この小さな礼拝堂には、1260年から崇敬されている“恵みの聖母”の聖画が置かれています。

ケラスコへ引っ越したアルベリオーネ一家は、“恵みの聖母”にささげられた聖堂へ、うれしいにつけ、悲しいにつけ、お祈りに行っていました。ヤコブも“恵みの聖母”の前でたびたび祈っていました。

「すべてはマリアと共に、はじめなければなりません」、とのアルベリオーネ神父のこの揺るぎない表現は、私たちにとって重みのある意味を含んでいるのです。

この礼拝堂は、彼自身によって語られた思い出結ばれています。
 この礼拝堂でローソクに火をともすため、ヤコブは、本を買うためにポケットに入れていたあり金200リラをささげたのでした。そして聖母がそれに報いてくださったのです。

ヤコブ自身が、このことについて書いたメモが残っています。

この自伝的エピソードは、1903年5月の出来事です。
 アルベリオーネ神父は、1912年、この礼拝堂について『ケラスコの恵みの聖堂の思い出』というタイトルで小冊子を書きました。

エピソードに出てくる叔父とは、父方の叔父であり、ヤコブの洗礼の*3代父(だいふ)。おいであるヤコブは、洗礼名に彼の名前をもらったのでした。この叔父は、ずっとヤコブの父ミケーレと仲たがいをしたままでしたが、ミケーレの病気と、家族の窮状を知ると、寛大にこの家族を助けるようになったのでした。特に、司祭職を目指していたおい、ヤコブをよく援助しました。こうしてヤコブはアルバの神学校の高い月謝を定期的に納め、たくさんの本を買い、知識欲を満たすことができたのでした。


注釈:

*1 初聖体(はつせいたい)
 救いの犠牲であるイエス・キリストの御からだと御血が司祭の手をとおしてささげられる教会の祭りを感謝の祭儀(ミサ)といいます。キリストは最後の晩餐のときにこれをお定めになりました。聖体とはパンとぶどう酒の外観のもとにキリストが実際におられる秘跡です。
 パンとぶどう酒がキリストのからだと血になった、聖体であるパンを洗礼を受けた人がはじめていただくことを初聖体といいます。
*2 堅信(けんしん)
 洗礼を受けた人が、より豊かに生き、教会共同体の使命をより積極的に果たしていくことができるように、イエスの代理者である司教または司祭がその人の頭の上に手を置いて聖霊を願う式。
*3 代父(だいふ)
 洗礼を受けるときに、教会の古い習慣に従って受洗者が代父や代母をいただきます。代父や代母の役割は受洗者の約束の保証人となり、その約束を守らせる務めがあります。そのため代父や代母は受洗者のために祈ります。

◆1--1 アルベリオーネ神父の生まれ育った環境


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