home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 >  10)創立者たちの最後の奉献 への招き1) 創立者の死

新世紀ルーツへの巡礼

目次

創立者の死

1) 創立者の旅立ち(2):多くの人の訪問

多くの記事が伝えた創立者の死去

創立者の臨終にあたり、世界の多くの会員たちがアルベリオーネ神父を訪問しました。

彼が亡くなった日から葬儀の日まで、ご遺体を囲んでの祈りの日々でした。
次々と世界各国からやってきた創立者に対して信頼のあつい会員たちがミサで説教をし、それはあたかも創立者のカリスマの全貌ともいえるような深い内容であり、また創立者との親しい関わりのある人たちの話で、アルベリオーネ神父を列席している者たちに近く感じさせるものであり、確かに「主のみ手は彼の上にあった」と言わせるものでした。

亡くなった翌27日に、総長ザノーニ神父は、「修道会は悲しみにくれています。修道会の歴史の中で一番重大な出来事、父であり創立者であった人が亡くなりました。

ここ数年間というもの創立者の姿は時々しか見かけることはありませんでしたが、私たちと共にありました。毎日多くのパウロ家族メンバーはアルベリオーネ神父の部屋を訪れ、あたかも巡礼地、聖地のようでした。創立者はほほえみ、ご絵にサインし、なにか短い言葉を与え、祝福を与えていました。それだけのことでしたが、それは訪れた人にとって大きなことでした。

訪問を終えた人たちは何か、彼から内的な深いものを受け取り、その人の中に記憶を残すものでした。時には涙、喜びの涙さえ浮かべている人たちもいました。彼の訪問をした人たちはとても幸せそうでした。自分の中に何かを受けて部屋を後にしました。しかし、父が逝った今、その部屋は空っぽです。それは大きな空白であり、時はそれを埋めることさえできないほどのものです……」と説教しました。

創立者アルベリオーネ神父の死はバチカン誌はもちろんのこと、記録されているだけでも87誌が伝えました。「今世紀の使徒アルベリオーネ神父」、「コミュニケーションの聖人アルベリオーネ神父」、「現代のメディアの使徒」、「出版の使徒アルベリオーネ神父」、「パウロ家族の創立者アルベリオーネ神父」などのタイトルがつけられていました。

27日の午後のミサはイタリア管区長ピニョッティ神父で、彼は「祈りの人」アルベリオーネ神父について説教しました。

夕方のミサは副総長ペリーノ神父が司式し、パウロ家族の中でも、特に聖パウロ女子修道会と使徒の女王修道会のメンバーが参加しました。

創立の地アルバでは、聖パウロ聖堂に一同が集い、アルバ教区の司教の司式でミサがささげられました。

28日には、日本のパウロ会を創設したパウロ・マルチェリーノ神父が説教を行いました。彼は、アルベリオーネ神父が霊的手記の中で「本当に聖霊は彼らのうちに働いていた」と初期のメンバーを列記している1人です。創立者の信頼のあつかった彼は、創立者との体験を、そばに過ごした人でなければ決して語ることのできない温かい人間味溢れる、しかも濃密な話をしました。

29日の朝の説教は、コスタ神父でした。彼もアルベリオーネ神父が手記の中で名前を書いている「ティト神父とコスタ神父、アムブロジオ神父と、マルチェリーノ神父」の4人の中の1人です。
彼はこう言っています。

この日々毎日父の死に際して泣いています。
私がアルベリオーネ神父と最初に出会ったのは、1913年、私がアルバの小神学校に行った12歳の時でした。彼はそこでの霊的指導者でした。
私は父として、また母のような存在の彼にすぐに惹かれました。私が困難に合っている時に勇気づけてくれ、しばらくの後「私と一緒にきませんか」と私に呼びかけ、私はすぐに「はい」と答えたのでした。
こうして1914年8月20日(聖パウロ修道会創立の日)を迎えることになりました。その日、小さな包みだけをもって私の村を後にし、11キロメートルを歩いてアルバに行きました。アルバに着くと、自分が想像していた神学校とは違い、何もありませんでした。なにも。まただれもいませんでした。まかないさんが「あなたが一番ですよ。さあ、中に入りなさい」と言い、夕食を出してくれました。まさに夕食が終わろうとしている時にアルベリオーネ神父がやってきて、「見てください。これがすべてです。主は、ご自身で使徒パウロの建物を建てるためにこれ以上の貧しいものをお選びになることはできませんでした」と。

今、アルベリオーネ神父は去って逝かれました。

父がある時に「私はあなた方にお金を残すことはできないが、“精神”を残します」と言われたことを思い出します。

アルベリオーネ神父について語る新聞が彼を「現代メディアの使徒」、「この時代の使徒」と呼びましたが、そのとおりだと思います。使徒的情熱こそ彼の残してくれたものです。……説教を終える前にアルベリオーネ神父の使徒的な情熱は、使徒的な創造性は、彼の神への大きな愛と人々への大きな愛からのものであったことを覚えておきたいと思います」。

◆10-5 創立者の死


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