home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 10)創立者たちの最後の奉献 への招き1) 創立者の死
新世紀ルーツへの巡礼
創立者の死
5) あの日の思い出
創立者の死去の際に、日本からイタリアに留学していた1人の聖パウロ女子修道会の若いシスターはこう言っています。
アルベリオーネ神父が臨終に近いと知った教皇パウロ6世が、プライベートの訪問をされた時、私たちは教皇がいらしたというので大喜びでお迎えしていましたが、教皇はこの上ない悲しみにみちた表情でした。その教皇の表情からアルベリオーネ神父が今出会っている出来事は、教会の中の一つの出来事なのだと感じました。
私が創立者の死去に立ち会うことができたのは、本当に大きな恵みでした。修道会は特別総会のただ中にあり、歴史的に修道会としては新しいとはいえ他の修道会同様バチカン公会議後の荒波の中を生きていました。そのような中で創立者の死を迎えたことは、離乳期を迎え、これからは自立して生きていかなければならない赤子のようで、修道会は大きな一つの区切りの時を迎えたのだということを実感しました。
創立者は手記の中で、彼は「神のみ旨の一部分を果たすのに一役買ったが、年長だったために、主から受けて他に分配する役目を引き受けたにすぎないのであって、舞台からも記憶からも消えていくべき者だからである。ミサが終わると、司祭は祭服を脱いで、神のみ前にあるがままの姿にとどまるように」と書いていますが、まさにそのとおりであると実感した、実に静かな過越であったと思います。
創立者の追悼の日々にアルベリオーネ神父の志を理解し、創立者の精神を世界に広げる役を担って、世界各国に派遣されていたパウロ家族のメンバーが帰国し、創立者の体験、精神などを説教されたことは、今後の歩みを創立者のこのような精神で生きるようにとのメッセージとも受け取られる内容で、大きな出来事に立ち会わせていただいているのだと深く感じたのでした。
パウロ・マルチェリーノ神父は、当時日本の管区長であったヴァラルド神父と共に、ローマ在住のパウロ家族のメンバーと共にソットクリプタ(http://www.pauline.or.jp/roots/roots05-3-ra_chiesa4.php)でミサをささげました。
そして、「日本におけるパウロ家族は3つしか存在していない。それは創立者のカリスマを十分表していない。いつかすべてのパウロ家族が日本に存在できるように、アルベリオーネ神父の取り次ぎをねがおう」と言われました。
創立者の死という出来事をとおして、当時イタリアにいたパウロ家族、世界から集まってきたパウロ家族は一堂に会したのでした。この体験は、若いこのシスターの心に深く刻まれ、創造性ある創立者への忠実こそ、ここに居合わせたものの責任であり、創立者が残してくれた遺産をイタリアにいる時にできるだけ原点に触れながら、学び、次世代に伝えていかなければならないという責任を心底感じたということです。
今も、創立者の墓のあるソットクリプタはいつも彼を訪問し、祈る巡礼者で絶えることはありません。
◆10-5 創立者の死
- 1) 創立者の旅立ち
- 2) 多くの人の訪問
- 3) 死をいたむ祈り
- 4) 創立者の葬儀
- 5) あの日の思い出
- 6) いろいろの方の証言1
- 7) いろいろの方の証言2
- 8) 列福調査開始へ 1
- 9) 列福調査開始へ 2
- 10)列福調査開始へ3