home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 >  10)創立者たちの最後の奉献 への招き1) 創立者の死

新世紀ルーツへの巡礼

目次

創立者の死

4) 創立者の葬儀


葬儀ミサ

30日の午後には枢機卿、司教、様々な修道会総長たち、大勢の修道者や信徒たちと共に178名の司祭の共同司式によるミサで葬儀が執り行われました。

多くの列席者のもとに行われた葬儀の参列者は、世界各国から集まったパウロ家族メンバーだけではなく、司教、司祭たちで、葬儀の行われた使徒の女王地下聖堂には入りきれないほどでした。

アルベリオーネ神父の家族ももちろんのこと葬儀に参列しました。兄弟の中で1人残っていた弟トンマゾ・アルベリオーネ氏は、次のような思い出を語ってくれました。

ヤコブ神父に最後に会ったのは、4、5年前でした。私は家にいました。私は一番下の弟で、たった1人だけ今残っています。私と同世代の人たちは、ヤコブ神父のことをみな知っています。

私の思い出は……。
1920年か21年に、私は彼に会いにアルバに行きました。家に帰った時に母から「どうだった? ヤコブは何をしていたの? ……」と尋ねられ、私は何も答えられませんでした。なにも分からなかったのです。「あの、何か大きな建物、大きな家を建てていて、そこにはたくさんの少年がいた、と言いますと、母は「どのようにしてお金を工面するのかしら? だれが支払うのかしら? と、母はとても心配していました。
1923年に母が亡くなった時、ヤコブ神父は葬儀に間に合うように帰宅しました。家から教会までは歩いて行きますが、約1時間の徒歩の中、彼はロザリオを祈っていました。唱えながら声も出なくなり、彼も母の後に逝ってしまうのはないかと思いました」と言っていました。


葬儀ミサ

この葬儀での説教は、ロアッタ神父でした。
神の人アルベリオーネ神父、彼の召命と彼が賜ったカリスマ……など、総合的に紹介されたものでした。
その中には、アルベリオーネ神父が手記に書いた歴史も読まれました。

パウロ家族の事柄を物語ろうとするなら、当然彼は次のような二重の歴史を物語らなければなるまい。
「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」の美しい賛歌をうたうために、神の慈しみの歴史を語り、次いで、神のきわみない愛にふさわしく応えなかった面目ない歴史を物語って、「かずかずの怠り、罪、そむきのゆえに」 、痛悔にみちた新しいミゼレレを作詩する必要がある。
この第二の歴史については、その一こまひとこまを特別に取りあげて考察してきたが、マリアと聖パウロの取りなしによって、それについての完全なゆるしを受けるのを期待しながら、イエスとの対話のうちに種々の場面を日々黙想している。

この第二の歴史は、彼のうちに一つの深い確信を生み、彼はそれを熱心な祈りにしている。……そのあわれなやせっぽちについて言うなら、彼は 神のみ旨の一部分を果たすのに一役買ったが、年長だったために、主から受けて他に分配する役目を引き受けたにすぎないのであって、舞台からも記憶からも消えていくべき者だからである。ミサが終わると、司祭は祭服を脱いで、神のみ前にあるがままの姿にとどまるように。

この手記を引用しながら、アルベリオーネ神父の神との決定的な出会いは1901年1月1日新しい世紀を迎えるための4時間の聖体礼拝の時のことでした、と続けたロアッタ神父の説教は、中味と彼の美しい声のもとに聖堂に響いて、参加者の深い沈黙の中に受け入れられ、祈りに導かれ、あたかも創立者を囲んで天上と地上の会員たちが一つになっているように響いていました。

翌12月1日、創立者の遺体は生前に彼がいつも訪問したり、見ていた主な使徒職の場を通り、聖パウロ女子修道会の庭、聖パウロ修道会の庭を通って、ソットクリプタ(地下聖堂の下にある聖堂)に到着し、ジャッカルド神父やシスターテクラ・メルロの眠っている同じ所に納められ、埋葬式も無事終了しました。

創立者アルベリオーネ神父の死去に際しては、世界各国から多くのメッセージが寄せられました。

・創立者の使徒的理想のもとに彼の心の中から生まれたパウロ家族は、今、創立者の逝去のもとに、再び彼のもとに一つになりました。

・創立者の死去という大きな痛みの中、彼の示してくれた道に従うことを表明し、彼の助けを求めます。

・創立者の死去に、パウロ家族と一致して創立者の精神に従って私たちの聖体礼拝をささげます。

・創立者は天国からパウロ家族を見守り支えてくださると信頼します。彼の残した貴重な遺産、説教を実現していきたいと思います。

・創立者の残してくれたカリスマを生きていきます。

◆10-5 創立者の死


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