home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 10)創立者たちの最後の奉献 への招き創立者の死
新世紀ルーツへの巡礼
創立者の死
7) いろいろの方の証言2
左から創立者、パガニーニ神父、ボアノ神父
聖パウロ修道会日本創立メンバーの1人であるカルロ・ボアーノ神父は、「偉大な預言者が私たちの間にあった」と、次のように語っています。
アルベリオーネ神父の姿を少しでもわかろうと思えば、聖書の中の預言者、使徒たちを念頭におかなければならなりません。彼らは救いの特別な使命のために神のみ手の中にある特別な道具ということと同じです。
彼は「すべてにおいて、すべてにわたって、神のみ旨を行うこと」が根本原理でした。使徒職における彼の指針は「一般に新規なことを求めないこと」でした。アルベリオーネ神父は、こう言っています。「私たちは最先端の仕事をするためにあるのではありません。その仕事は教会の中で専門家がするのです。私たちは道の真ん中を歩み、議論のない真理をすべての人に知らせなければなりません」と。しかし、彼はあらゆることにおいて第2バチカン公会議が勧めている考えを先取りした形で教えています。
アルベリオーネ神父は師イエス・キリストの中にすべてを見、師キリストの目ですべてを見ていました。ですからすべての司祭は「師=先生=マエストロ」と呼ばれるべきでした。師キリストの模範に従って先生は形成されていなければならないからです。しばらくの間司祭は「マエストロ」と呼ばれ、アルベリオーネ神父は「プリモ・マエストロ(第1の先生)」と呼ばれていました。すべてにおいて第一人者であったからです。
彼の説教は単純で、納得のいくものでした。彼の語ることは心から湧き出るものであったからです。しかも命題はいつも同じく、神の栄光、神のみ旨、聖師イエス・キリスト、使徒の女王への信心……などでした。
彼は使徒パウロのようにキリストに捕らえられたのです。 人間的には説明できないような非常に偉大な事業を実現しながら、彼が病弱なからだを87歳まで保ったという姿を眺めるときに、「偉大な預言者が私たちの間にあった」と言えるのです。
聖パウロ女子修道会の1人のシスターはこう言っています。
1966年の夏、彼の健康は思わしくありませんでした。
そのころ私は住みなれたローマをあとに帰国することになりました。お別れのあいさつをしたいと思いましたが不可能だということでした。そこで伝言をお願いしたところ、彼は直接に会いたいと言って私をそばへ呼んでくださいました。
祝福をいただくだけでも胸はいっばいでしたのに、自ら記念品をくださいました。そして「何か祝福するものがありますか」と言って、日本の姉妹へのおみやげ物を、深い愛をこめて祝福してくださいました。
このようにしてくださる慈父の心づかいに、私はどれほど感動したことでしょう。本当に彼は、私たち一人ひとりを心に抱き、大切にしてくださっていたのです。
今は、天の国から生前にもまさって、ご自分の子らの上に、いつくしみのまなざしを注いでくださっていることを確信しています。
師イエズス修道女会のシスターは、アルベリオーネ神父のビジョンを理解し、彼に従ったシスターマリア・スコラスチカについてこう描写しています。
創立者の遺体の傍らに祈るシスターマリア・スコラスチカは、あたかも会話をしているようでした。
それは単に過去の関わりのゆえだけではなく、今、この現実の中で永遠のことを味わっているかのようでした。それは忠実に生きながら独特の確信をもって他に伝達し、創立者を神からの使者であると信じ、かつ、その教えを全面的に受け止め、生きた姿でした。
◆10-5 創立者の死
- 1) 創立者の旅立ち
- 2) 多くの人の訪問
- 3) 死をいたむ祈り
- 4) 創立者の葬儀
- 5) あの日の思い出
- 6) いろいろの方の証言1
- 7) いろいろの方の証言2
- 8) 列福調査開始へ 1
- 9) 列福調査開始へ 2
- 10)列福調査開始へ 3