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新世紀ルーツへの巡礼

目次

今日、26日は福者アルベリオーネ神父の祝日です。パウロ家族では、特別の典礼で祈ります。
『教会の祈り』の「読書課」では、創立者の「世紀をわかつ夜」での霊的体験の箇所が読まれます。

 パウロ家族は創立100周

 5)信仰の目で:創立者・アルベリオーネ神父の歩み3

「ステンドガラス」

「世紀をわかつ夜」と描く時代的背景は、その言葉自体は、「意味ある時」としてわたしたちに響いてくるとはいえ、アルベリオーネ神父の人生の歩みに位置づけるなら、1900年の神学校の移行、つまり、アルバの神学校に入ることができたことは、通常には考えられない、奇跡に近い出来事であり、「世紀をわかつ夜」は、そのわずか数カ月後に起こった出来事なのです。

わたしたちの想像をめぐらして考えるなら、アルバの神学校に移行できた喜び、トリノ教区からアルバ教区へと変わらなければならなかったことから生じた環境の違い、以前の生活態度に対する良心の呵責など、この時の青年ヤコブはいったい何を感じていたのか、と思わざる得ません。

当時、青年アルベリオーネは、教皇レオ13世の回勅『タメトゥシ・フトゥーラ』や、トニオロ氏(2011年5月に列福された)の講演を聞き、学び、読み、深め、影響を受けていたとはいえ、アルベリオーネ神父の側に神の特別な恵みを受ける十分な準備が整っていたとは言いがたいのです。

彼が記した書を読んでいくと、このアルベリオーネ神父の「世紀をわける夜」の体験が、神からの一方的な恵みであったと理解することは、とても自然なことです。

アルバの神学校は、司教座聖堂の隣にあり(現在は他のまったく別の組織が使用しています)、司祭の叙階後も創立者はこの神学校に残り、教え、霊的指導をしていたこと、小さい教区であったため、司教ともたびたび話す機会があったことなどを考えると、「世紀をわける夜」の体験は、パウロ家族の創立に決定的な出来事、つまり、神の恵み、神からの働きかけ、導きとなっていくのがわかります。

アルベリオーネ神父が記しているように、この夜の体験は「光の体験」であったのです。この体験があったからパウロ家族が存在していると言える出来事なのです。

ブラにおける少年アルベリオーネの過ちの体験は、神の導きの元、パウロ家族の創立へと導かれる体験であったと言えるのです。

神は、人間のいたらなさ、罪深さからどのように救いの業を成長させていかれるかという事実が、アルベリオーネ神父をとおして記されていくわけです。

この事実は、信仰の目で、神の業を観想していく中で見ていく必要があります。その中でこそわかり得ることなのです。

アルベリオーネ神父自身は、「世紀をわかつ夜」の体験を、「招き」という言葉であらわしています。
「みな、わたしのもとに来なさい」(マタイ 11章)の招き、レオ13世やトニオロ氏の招きなど。
アルベリオーネ神父は、聖体のイエスから一条の特別な光が、自分のもとに届くのを感じました。その招きは、また、「義務づけられている」という表現で感じるほどのものでした。

「主のために、そしてまた自分が生活をともにするはずの新しい世紀の人びとのために、なにごとかを果たすために準備する義務を負っているということをひしひしと感じた。」と記しているとおりです。また、「教会と新世紀の人びとに奉仕し、他の人びととともに働かねばならないと痛切に感じた」とも言っています。

この彼が体験したことの描写のうちに、わたしたちは自ずと使徒パウロの体験を思い出させられます。 パウロは言います。

わたしが福音をのべつたえてもほこりにはなりません。そうしないではいられないからです。もし福音をのべつたえないなら、わたしにとって災いです。もしわたしが自分からすすんで福音をのべつたえるなら、報酬を受けます。しかししいられてのべつたえるにしても、それはわたしにゆだねられたつとめなのです。(1コリ 9章16節~)

パウロが聖師イエスから招きを受け、それに「はい」と応えた時から福音を宣べ伝えることは、義務づけられたものになったのです。

アルベリオーネ神父にとって、この夜の神の招き、呼びかけを、神への大きな力と感じ取り、救いの歩み、歴史において従わなければならないと感じるほどのものだったのです。

◆12-創立100周年に向かって


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