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新世紀ルーツへの巡礼
使命への準備へ
今日のメディアを使っての福音宣教の必要性
アルベリオーネ神父は、今日の手段を使っての福音宣教の必要性について、1921年11月23日付けで、アルバ教区長フランシスコ・レ司教あてに、聖パウロ修道会の法的設立と認可を申請していますが、その中で、修道会の簡単な歴史と会憲の要点が添付されています。その中には、次のようなことが書かれています。
聖パウロ会について考えはじめたのは、今世紀(20世紀)の最初でした。
それは、ペンや広告を使って人々が社会にまき散らす過ちや、道徳に反する教えなどがどれほど多くの害悪をもたらすかを経験したからです。
優れた徳と深い教え、教会への限りない敬意を深く心に養っている人々の働きで、出版を使ってプロパガンダ(宣伝)し、この誤りの広がりに対抗したいとの望みが生まれた。
1908年ころ、「このような修道会の存在が、主のみ旨であるということを、もっと明確にわかりはじめた。」と言っています。これは、
「花の聖母の聖堂」に巡礼した帰り道のことでした。
アルベリオーネ神父は、修道会創立40周年を迎えたときにつづった霊的手記の中で、彼の心の中にいっそう一つの輪郭が整えられてきたことを、「照らされた光の体験」としてこう書き記しています。
最初は、カトリック信徒の著述家・技術者・書店経営者・セールスマンからなるカトリック組織を考えていました。
つまり、そういうものを作って、指針、仕事、使徒的精神を与えること……しかし、間もなくいちだんと明るい照らしを受け、1910年ごろ、決定的な一歩を踏み出し、著述者・技術者・普及者の組織でも、男女の修道者の組織であるという考えが固まったのでした。
一方では最高の完徳、つまり、*1福音的勧告をさえ実行する人々の完徳と、使徒的生活の功徳にまで導き、他方では使徒職にいっそうの一致、継続、安定、超自然性を与えるということです。
一つの組織をつくること、しかし、修道会であること。
修道会では、力は一つに集められ、献身は全面的であり、教義はいっそう純粋であり得ます。精神を尽くし、力を尽くして神を愛する人々、「百倍の報いを受け、永遠のいのちを得る」(マタイ 19.29) という神の報いだけで満たされ、教会のために献身的に働く人々の団体。
当時、彼は、地上の教会で戦う人々の姿と、また、すでに天上にある勝利の教会に入った人々の姿を想像して、夢中になっていました。
アルベリオーネ神父は、ナルツォーレ教会で助任司祭として働いていた1908年から1914年の間も、神から託された新しい時代のためのミッションについて、彼の頭から離れることはひとときもありませんでした。「新世紀の寛大な人たちは、きっと自分が今感じているようなことを感じるのではないかと」と、確信し、指導者、友人、少年たちに自分のビジョンを語っていたのでした。そして、彼らからの光、助言、支援を大事にし、どんな機会もおろそかにすることはありませんでした。
今世紀(20世紀)が必要としている活動と、それにあった手段は、アルベリオーネ神父の中でだんだん明らかになってきました。1913年には、アルバのフランシスコ・レ司教により、教区新聞を託されることによって、彼の念願が実現に向かって、第一歩を踏み出しました。
しかし、最初の家(修道院)を開くことを、もう少し見合わせる方がよいと思わせる理由がいろいろありました。
その一つの理由は、アルベリオーネ神父が、神学生と少年たちを合わせて180 人もの霊的指導、教区の週報の編集と経営責任、週13時間の授業にもかかわらず、教区の種々の役職と責任まで担っていたからでした。
さらに時代は、暗雲が漂い、1914年(第一次世界大戦)の破局を予告していたのでした。
その上、アルベリオーネ神父自身、健康に恵まれていませんでした。「かれを救うことはできません。結核はかれを死に追いやろうとしています」と司教に告げる人々もいました。
そこで、アルベリオーネ神父は、指導者に次のように相談したのでした。
「中途で見捨てざるを得ない可能性が強いのに、ある使命のために人を募集するという無分別を犯すのではないかと恐れております」と。
「主の方があなたよりもよくお考えになり、善処してくださるでしょう。信仰をもって続けてください」という指導者からの答えに、彼はもはやためらうことはありませんでした。
彼は、このときの心のかっとうを、霊的手記でこう書いています。
すべては錯覚なのだろうか、これは何年かの間、かれを苦しめた精神的悩みだった。
ある日祈りのうちに一種の光を受けた。
《おまえは間違うことができるが、わたしは間違わない。召命というものはわたしからでることで、けっしておまえからのものではない。このことこそ、わたしがパウロ家とともにあるということの外的しるしである》。
まだまだ、新しい修道会創立の歩みには、困難がありましたが、それら一つひとつは「神からのしるし」としてアルベリオーネ神父は受けとめていったのでした。
- *1 福音的勧告
- 「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(マタイ 19.21)とのイエスの勧めに従って、独身生活を守りながら、自分を神にのみささげ、いろいろな形態をもって人々の奉仕に生きる生活。歴史の中では、その時代の人々の必要にあった、多くの修道会、奉献会が誕生しました。
- すべては使命に向けて方向づけられて
- → 人は自分の召命に従わなければならない
- 社会問題を福音の光で
- 社会情勢
- 今日のメディアを使っての福音宣教の必要性
- 蒔かれた一粒のシード
- → モレッタの聖母の記念聖堂
注釈:
◆1--4 使命への準備