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新世紀ルーツへの巡礼
使徒職の発展
1) 出版使徒職による福音宣教
1932年までの間、ブラジル、アルゼンチン、アメリカ合衆国、フランスの新しい共同体が ベツレヘムからの歩みをしているころ、アルベリオーネ神父をはじめ会員のほとんどはイタリアに残って、アルバ、ローマを越えてイタリア各地での宣教活動にチャレンジしていました。それは、北イタリアはもちろんのこと、南イタリアへと修道共同体が創立されていく 第一拡張期とも呼べるものです。この修道院創立には、必ず彼らの固有の使命の広がりもありました。
1928年 サレルノ、バリ、パレルモへ、1929年にはカイヤリ、ブレッシャ、ウディネ、レッジョ・エミリア、ベローナ、ジェノバへ、1930年には、マントバ、アンコーナ、ボローニャ、ナポリへ、1931年にはカンポバッソ、グロセト、アルジェント、ラ・スペティア、ノバラ、トレビーゾ、トゥリエステ、フォッジャ、カタンツァロ、パビアへ、1933年にはタラント、ポテンツアへと拡げられていきました。
聖パウロ会の支部創立の傍らには、聖パウロの娘の姿があり、やがて師イエズス修道女会の共同体も存在することになります。
各々の創立には、最初から教会の中にそれぞれが存在する姿、固有の活動の姿があります。派遣された人数からみれば、どこの創立も派遣された町々の人数、なすべき事を思うと、それはそれは一粒のシード、からし種でした。
やがて派遣される東洋の地、聖パウロ女子修道会の諸外国の派遣を語る前に、イタリアでの使徒活動の発展についてご紹介しましょう。
1) 出版使徒職による福音宣教
アルベリオーネ神父が、世紀を分かつ夜に感じたインスピレーション、「自分と生活を共にするはずの新世紀の人びとのために、何事かを果たすよう準備する義務を負っているということをひしひしと感じた」その時、「印刷には印刷をもって、組織には組織をもって……、大衆の中に福音を浸透させる必要」をも感じたのですが、最初の15年間は、主として新聞でした。
しかし、アルベリオーネ神父が、自分の印刷所を持ち、未来に向けて、印刷技術者や著作者の養成を真剣に考えはじめたころには、彼の関心は大衆的な、しかも「司牧的な」本や定期刊行物に移っていきました。
出版による宣教は、キリスト教の思想伝達のより確実な道であり、通常の方法である説教に代わるものと、彼は考えていたのです。
「私たちの望みは、他の人たちが話した言葉でするのと同じように、まず第一に出版物を使って福音を普及することである。」
サレジオの聖フランシスコ300年祭にあたり、ピオ11世が出された回勅、『レールム・オムニウム』(1923年 発布)は、アルベリオーネ神父の出版使徒職の視点に、大きな力となったのでした。その回勅の中で、教皇はサレジオの聖フランシスコを、カトリックの文筆家たちの保護者に挙げ、聖人の模範に倣いながらカトリックの教えを人々に紹介し、守るように勧めています。
アルベリオーネ神父が、どんなにこの回勅を喜んで迎え入れ、熱誠こめて受け取ったかは、彼がジャッカルド神父に書かせた記事(1923年2月12日の協力者会誌)からもうかがいしれます。
それは、「教皇文書によって良い出版物による宣教が聖別された」というタイトルで記事が書かれており、「ピオ11世は、『良書による使命』の歴史の中で、偉大な人物と呼ばれるだろう」と書きはじめています。
続いて、サレジオの聖フランシスコの死去300年を祝うために書かれたこの回勅は、永久に記念される文書である。教会の普遍的な師である教皇は、この回勅の中で、使徒座の権威をもって、『良い出版物による使命』を聖なる使徒職とし、その本質と特徴を描写し、そのための道も指し示してくださった」と書いています。
その記事は、良い出版物とはなにか、出版物による宣教の性格、著述家の保護者としてのサレジオの聖フランシスコ……などについても書いています。
同年3月27日の記事では、教皇回勅『レールム・オムニウム』は、カトリックジャーナリズムの「マグナ・カルタ」であるとも書いています。
それから10年後、アルベリオーネ神父の著述による『出版使徒職』という本が アルバで出版されました。これは、パウロ家族の使命に関する基本文書の一つとなっています。
1944・54年改訂版『出版使徒職』
当時の神学課程の学生のひとりであったシスター ルイジーナ・ボッラーノは、次のように証言しています。
1933年から38年の間に、当時、修道会内で神学課程の勉学をしていた20名のパウロの娘に、創立者は『パウロ家の使徒職』というテーマで、講義をなさいました。
このコースは、かなり長期にわたったものです。師は、“Apostolato Stampa(出版使徒職)" という本の内容を講義し、さらに、企画制作、普及、映画、ラジオに関しても講義なさいました。しかし、テレビとか他のメディアはまだありませんでしたから、それらには触れてはおられません。……創立者が自分で書いた本は、あまり数多くありませんが、この本はその一つです。この本は全文、彼の筆になるもので、他のだれも修正を加えてはいません。
この本はメディアの進歩と共にいろいろの歩みを経て、改訂されて1944年、1950年、1953年と出版されていきます。この書は、今も会員の座右の銘となっています。
◆2--13 使徒職の発展
- 1) 出版使徒職による福音宣教
- 2) すべての人に聖書のすべてを、との熱い願い
- 3) 聖書の出版
- 4) 週刊誌「ファミリア・クリスチアーナ(キリスト者の家庭)」の発行
- 5) 映画による宣教への挑戦
- 6) 教理のドキュメンタリー映画制作
- 7) さらなる使徒職の発展へ