home > 女子パウロ会とは > 新世紀ルーツへの巡礼 > 2-聖パウロ修道会 > 6) 教理のドキュメンタリー映画制作

新世紀ルーツへの巡礼

目次

使徒職の発展

6) 教理のドキュメンタリー映画制作

アルベリオーネ神父は、やがて、映画部門で大仕事に取り組むことになります。それは、教理のドキュメンタリー映画50本の制作でした。それは、キリスト教をイメージで提示する全集ものとでもいえるものです。この時の困難は、テーマの多様さ、いきいきとした表現、世界のどこででもわかりやすく効果的であるものの制作に加えて、巨大な資金が必要でした。むろんのことアルベリオーネ神父には、その資金はありません。

1951年に50のドキュメンタリー制作をうち出したアルベリオーネ神父を、人びとはかつてそうであったように、彼は頭がおかしくなったのではないか、と言っていました。このような時、シスターテクラ・メルロは、資金を用意し、彼の前に現れます。こうして、撮影がはじまり、ドキュメンタリーは実現していくことになります。

この時の撮影は、ときの教皇ピオ12世の国務長官ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ閣下(後の教皇パウロ6世)の祝福を受けました。

モンティーニ閣下の訪問
モンティーニ閣下の訪問

モンティーニ閣下は、1953年1月19日にピオ12世の名で一通の手紙をアルベリオーネ神父に送っています。

この企画はいうまでもなく、教皇聖下の父としての深い関心を引かないではおきませんでした。聖下はいつも、青少年の宗教教育という何よりもだいじななことに役立つ試みを信頼をこめて見守っておられます。
 もし、ほんとうに、教理の勉強に映画を使うことによって、勉強を非常にいきいきと興味深く説得力に富むものにすることができ、児童や人びとの視聴機能をしっかりととらえることに成功するならば、宗教教育は疑いもなく大きな益を得ることになるでしょう(……)。
 教皇様は、この困難な事業を心から励まされ、教義、芸術、経営のどの面においても、あなたを動かしているよい意向が現実に形を取っていくよう、あらゆる配慮がなされることを確信しておられます。
 みな様の子としての忠誠を感謝しながら、教皇聖下は聖パウロ修道会全会員を祝福されるとともに、知恵を尽くして寛大に献身している使徒的なよい働きをも祝福されます。

ドキュメンタリーが制作され、普及されていった時、どこでも好評でした。アルベリオーネ神父はすぐ、これを教会長上に報告しています。
 1954年、モンティーニ閣下は、それに応えてこう送ってこられました。

 
教皇聖下は、教理映画がイタリアでも外国でも広く賛同を得て、成功進展しているという報告をことのほか喜ばれました。
この計画は、間違いなく宗教教育のために貴重な貢献をすることになりましょう。

1955年に、アルベリオーネ神父は、ローマのポルトゥエンセ街に、サン・パウロ・フィルムの工場を祝別発足させました。

このようにアルベリオーネ神父を動かしていたのは、「パウロのようにイエス・キリストを宣べ伝える」ということでした。彼は「聖パウロは、時代の進歩が築いた最高の演壇、すなわち、出版・映画・ラジオ・テレビジョンを使い、愛と救いの教えの最大の発見であるイエス・キリストの福音を手にして働くことでしょう。彼は私たちの「原形」となってくれました」と言っています。また「聖パウロがいま生きていたら」ということがいつも心にありました。

 聖パウロがいま生きていたら、一つの火から燃え上がる二つの炎、すなわち、神と神から送られたキリストのための熱誠、あらゆる国の人びとのための熱誠、この二つの炎に燃え続けることでしょう。
 自分の声を届かせるためには、最も高い演壇に登り、自分の言葉を増幅するために出版・映画・ラジオ・テレビといった時代の進歩の手段を使うでしょう。
 聖パウロの教えは冷ややかな抽象的なものであるはずがありません。彼は一つの場所に行けば、一回の講演をするにとどまらず、そこに滞在して、そこの人びとの知性の同意をひき出し、納得させ、回心させてキリストに一致させ、全面的にキリストに従う生き方に導くまでに養成していました。
 そして、その人びとが継続していくという確実さが把握できたとき、はじめてそこを出発しました。
 自分の働きを続ける長老をたて、伝言や手紙でたびたびかかわり続け、近況を求め、彼らのために祈って、精神的にともにとどまっていました。

◆2--13 使徒職の発展


▲ページのトップへ