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新世紀ルーツへの巡礼

目次

3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立

3) シスター テクラ・メルロの語った聖パウロ女子修道会の起源1

シスターテクラ

シスター テクラ・メルロは、修道会のはじめの7年間を語っています。それは、当時 編集長であったジャッカルド神父に資料を提供するため、また修道会の協力者に、聖パウロ女子修道会のことを知らせるためでした。

シスター テクラ・メルロは、最初の思い出をこう語っています。
「はじめてシニョール・テオロゴにお会いしたとき、修道女のように生活する娘たちの組織をつくりたい、しかし、今のところは兵士の下着をつくることからはじめよう、ということを、私にお話になりました。…… 私はすぐそのことをすばらしいと思いました。しかし、まだ住む家はありませんでした。」と。

ジャッカルド神父は、「小さな歴史」の中で、シスター テクラ・メルロの回想を、次のようにつづっています。

つきあたりがボッフィの家
つきあたりがボッフィの家

●シニョリーナ・メルロ・テレザは、シニョリーナ・ボッフィの家に住んでいました。ミシンと下着の山の間で、良書出版のための新しい娘たちは1カ月以上も過ごしました。しかし、印刷学校の若者が残していった、この同じ場所で働くことは、「いつになったら私たちも、印刷の仕事をはじめることができるのかしら?」という考えが浮かんだり、ときにはまた口にだして言ったりしましたが、しかしそこまでで、それ以上なんの会話も進みませんでした。主は決して急がれません。1本の細い水の流れが、いつか知らないうちに、大きな川になり得るのです。

●最初の娘たちは、1カ月間、家のないまま過ごしました。…… 修道召命として、女性の良書出版への召命は、新しいことでした。女性が印刷のために働くということ自体が、当時としては新しいことだったのです。

毎朝、ミサと聖体拝領のために聖コスマとダミアノ教会に行っていました。この教会の主任司祭だったカノニコ・キエザは、毎朝4人の娘たちのために黙想をしていました。午後は聖体訪問に行きました。週に1回、アルベリオーネ神父が、彼女たちに指針となる講話を行っていました。こうしてだんだんと(聖パウロ女子修道会の)精神が生まれていったのです。神はそれを創り、それを成長させられた。

仕事は、まだ同じことをしていました。この家の責任は全部、アルベリオーネ神父がとっていたので、この娘たちは毎日、また日によっては1日のうちに何度も彼のところに行き、兵士たちのシャツなどのことで、彼をわずらわせていました。だからアルベリオーネ神父は、神学生たちの霊的指導をする一方、主がお与えになった新しい子どもたちの世話にもあたり、このようにシャツの問題のためにも時間を割いてくださいました。

アカデミア通り
アカデミア通り

そのうちに、主は家を用意してくださいました。1軒の借家でしたが、たとえ借家であっても、ここに住まいと仕事場の両方をかまえることができたので、それは非常によいことでした。娘たちは、アカデミア通り4番地に移り、そこに3年間とどまりました。場所はかなり広く、そして新しい会にふさわしい精神をもって仕事をはじめることができました。この出だしは、そのころもまだ「女性の仕事場」と呼ばれていた聖パウロ女子修道会の使徒職の歴史にとって、第2歩を踏み出したことになります。

新しい仕事は、書籍と宗教用品を扱う「新書院」と呼ばれた小さな委託販売店でした。それはわりあいうまくいきました。娘たちにとっては、これが使徒職のはじまりでした。しかも将来、非常に発展し、また特に小教区において宗教心の養成のために教区司祭を助けることになる、書籍や宗教用品の委託販売店の経験ともなったのです。

UCBS(良書出版協力者会)機関誌から

◆3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立


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