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新世紀ルーツへの巡礼

目次

3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立

5) スーザ、ベトレヘムからの出発


スーザの教会

クレリアの死は、アルベリオーネ神父が予想もしていないような冒険を思いめぐらしていたときでした。

アルバに近いトリノ市のスーザ町の司教が、自分の教区報「ラ・ヴァルスーザ」誌の発刊に行き詰まっていたとき、アルベリオーネ神父に助けを求めました。司教の彼への願いは、彼の娘たちをスーザに送って、この教区報を再出発させてほしいということでした。司教は、おそらくアルバに植字ができる少女はひとりしかいないし、ページ割りつけはだれもできないということを、知らなかったでしょう。

クレリアの死は、アルベリオーネ神父にとってもシニョリーナ・メルロ・テレザ(後のシスター テクラ・メルロ)たちにとっても、彼女がいなくなったことで、スーザに行く計画を見合わせるようなことはありませんでした。むしろ、彼女のためにも実現しなければ、といっそう迫力と緊急さを帯びたようでした。

アルベリオーネ神父はこう言って、娘たちを送り出しました。「スーザへ行きなさい。あちらで沈黙のうちに、人知れず、3、4年を過ごしなさい。そうすることによって、他の場所で善いことを行うために、飛躍する力を強めなさい。」

アルベリオーネ神父は、シニョリーナ・メルロ・テレザを頭にする1グループの娘たちをスーザに送り、「ラ・ヴァルスーザ」誌の普及だけでなく編集や印刷についてまでも、彼女たちに責任を委ねました。

スーザに行ったのは、全員で5人、彼女たちは、貧しさにはたっぷりと恵まれ、アルプスの山地帯での最初の冬を迎えることになりました。*1「ベトレヘムからの出発」でした。

彼女たちは精一杯力を尽くし、心を尽くして働いたので、予想以上のことをすることができました。彼女たちの手による「ラ・ヴァルスーザ」誌、第2号を見て、司教は賛辞を惜しまなかったほどです。

シスター テクラ・メルロはスーザに行くときのアルベリオーネ神父とのやりとりを書き残しています。

  ☆ ある日、シニョール・テオロゴは私たちに言われました。
 ★「主は、あなたたちが善を行うために、ひとつのすばらしい機会をお与えになります。活字拾いから印刷、普及まで、 教区新聞を引き受けることです。スーザでね。この仕事をやる気がありますか?」
  ☆「どうしたらいいのでしょう。少しばかり活字を組めるのは、エミリアだけです。」
 ★「印刷所に行って習ってください。主と聖母と聖パウロが、助けてくださるでしょう。」
 そこで私たち全員は、
  ☆「はい、シニョール・テオロゴ、まいりましょう」と言った。
 ★「では、私はお受けしますよ。」
  ☆「どうぞ、お受けになってください。」

 次の日クレリア(1915年9月入会)は病気になってしまいました。そして10日後、良い出版物を使って働くため私たちと一緒にスーザに行きたい、という強い望みを抱きながら天に去ったのです。

主は、私たちが大いに期待していた丈夫で善良なクレリアをみもとにお召しになり、この世にいるよりもさらにたくさんのことができる守護者を、私たちにお与えくださいました。彼女は、もし生きていたとしても、これほど多くのことはしなかったでしょう。それをとても強く感じました。

私たちはたった3人だけになりました。どうすればいいか当惑しました。もうすでに10月の半ばでした。私たちは、いろいろなことを学ばなければなりませんでしたが……、それでもスーザには行かなければなりません。主はこれらすべてのことをご自身がなさり、私たちが彼にだけ信頼をおくようにというお望みから、これらのことを起こされたのだ、ということが後になってわかったのです。

シニョール・テオロゴは、「あまりにも少人数で経験もなく、そこはアルバから遠いところだ」と、彼に意見する人たちに対し、主はこの娘たちに、奇跡を行われるだろうと言っておられました。

まさに主は、私たちが教区新聞の発行に成功し、印刷所を運営し続けることができるという奇跡を行われたのです。
 ついに、待望の日がきました。1918年12月22日、スーザへと出発しました。

5人 …… その5人のうち3人は子ども、しかもその中の2人は2か月前に入ったばかりで、みな、印刷に関しては全く何も知らない、あるいはほんのわずかだけ知っている少女にすぎませんでした …… で、出発するときを迎えました。出発の瞬間、シニョール・テオロゴのそばに私たちはみな、集まりました。彼は善いお父さんのように、私たちに勧めを与えてくださいました。

私たちはひざまずき、彼は私たちを祝福されました。シニョール・テオロゴが感動していらっしゃるのが外にまであらわれていて、私たちは泣いていました。これは非常に荘厳なときでした!

スーザの家
スーザの家

あの祝福は私たちに、どれほどの勇気を与えてくれたことでしょうか! 今でもあのときの効果を私のうちに感じるほどです。あの瞬間、できるだけ早く従順によって派遣される場所へ着くように、飛んで行きたい気持ちでした。しかしその反面、そこから絶対に離れたくない、という心の動きもありました。

出発のまえにシニョール・テオロゴが私たちにおっしゃったお言葉を、まるで昨日聞いたかのようによく覚えています。

★「スーザへ行きなさい。あちらで沈黙のうちに、人知れず、3、4年を過ごしなさい。そうすることによって、他の場所で善いことを行うために、飛躍する力を強めなさい。」

注釈:

*1 ベトレヘムからの出発
 ベトレヘムは、イエスの誕生の地です。聖書に語られているイエスの生誕物語では、マリアとヨゼフは、宿を見つけることが出来ず、イエスは馬小屋で生まれ、まぶねに寝かされていました。そこには、イエスの生まれたときの貧しさと素朴さが描写されています。
 「ベトレヘムからの出発」とは、イエスの誕生と同じように、貧しさの中からの出発をシンボリックに表現しています。 

◆3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立


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