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新世紀ルーツへの巡礼
3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立
4) シスター テクラ・メルロの語った聖パウロ女子修道会の起源2
1915年の9月に、クレリアがこの修道院に入ってきました。若い成熟した女性で丈夫、非常に善意に満ち、単純さ無邪気さにあふれていました。彼女は台所の係になり、シニョリーナ・ボッフィの年老いたお母さん、ボッフィ夫人と一緒に家事仕事をしていました。この使命をもった姉妹たちのもとに3年間生活し、聖パウロの娘たちが良書出版の使徒職に、もっと徹底的に献身するようになる直前に、天に召されました。……
アルベリオーネ神父は、神の摂理によってつくられた新しい女子修道会に、もっと直接かかわるようになりました。毎朝早く、遠い住まいからきて、娘たちに黙想をし、それから神学生の朝の信心業のために神学校へ行っていました。……
現在の聖コスマとダミアノ教会
聖パウロ女子修道会の娘たち全員は、聖コスマとダミアノ教会の「要理教育連盟」に属していて、カノニコ・キエザの要理教授法の授業を受けていました。そして教授資格をとれる試験を受け、それから小教区の子供たちに公教要理を教えはじめました。こうして娘たちは目的に近づいていったのでした。このような手段をとおして神は、良書出版にたずさわる新しい宣教女たちの養成をはじめ、実現していかれたのです。
娘たちは、聖コスマとダミアノ教会のカテキスタたちと一緒に、月の静修や年の黙想を行ったり、日曜日の祭儀にあずかったりしていました。
それから新しい他の仕事にも手をつけました。それは……公教要理の印刷されたものを折ったり、綴(と)じたりする仕事でした。印刷学校は、小教区に安くこれを配布することができるように、たくさんの部数を印刷していました。そして娘たちは時間の許すかぎりそれを折り、綴じ、でき上がった本を定められた形に梱包していました。
公教要理の本は、印刷の仕事をしている間にも、口頭の祈りや生活の祈りで味をつけられ、より恵み豊かになったものとして、小さい子供たちのもとに送られました。
アルベリオーネ神父の黙想について、娘たちのなかの第1の人(シスター テクラ・メルロ)は、次のように書いています。「彼は子どものような私たちの魂を養い、そして弱い私たちの意志を強めるために、愛をこめてパンを裂いておいででした。彼の教えや勧め、そして心から出たお言葉などは、ほんとうに優しく甘美なものとして私たちの心のうちにしみとおっていきました。」
……最初の娘たちは3人で、生徒たちを教育しなければなりませんでした。…… しかし、この3人のうち、だれも学位をもっている人はいませんでした。ある日曜日、いつもの講話の後、アルベリオーネ神父は娘たちに、広い畑が良書出版のために働く人を待っている、ということについて話されました。そして、学校の話が持ち上がったのです。
シニョリーナ・ボッフィはこう言いました。
「もっとよく善を行うことができるために、先生になりたいと心から望んでいました。」
アルベリオーネ神父はこう答えました。
「どうして、今からでもすることができないんですか?」
「ああ、もしそれがほんとうだったら!」
「勉強をしなさい、だれかが助けてくれるでしょう。そして他のことは、主がお考えになるでしょう。」
このように話したのが、7月半ばごろのことでした。10月(1916年)に、このシニョリーナ・ボッフィは、最初の試験を受け、そして次の年も勉強を続け、ほかの科目の試験も受け、1917年10月、彼女は会の仕事や事務所の仕事を減らすことなく、教員免許をとることができ、私たちの家で先生として教えはじめたのでした。この事実は、たくさんの小さな少女たちの中に芽生えていた召命に大きな扉を開き、歩む道を可能にしました。
UCBS(良書出版協力者会)機関誌から
◆3--1 聖パウロ女子修道会(聖パウロの娘たち)の創立