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新世紀ルーツへの巡礼

目次

使徒職の発展

2) 家庭訪問による宣教は、新しいライフスタイルを……

歩くパウロの娘たち

それでは、アルバを拠点とした「家庭訪問宣教」は、どのように行われていたのでしょうか。

シスター マリア・ナタリーナは、次のように証言しています。

 アルバとアスティ周辺の町々に、本を詰めた箱を2つ、3つもって出かけていきます。2人づつ、たいていは1人の修道女と、もう1人は志願者か学生です。
 馬車か『バリッラ』で所定の町まで連れていってもらいますが、『バリッラ』を運転するのは マネラ神父様でした。女子修道会か、主任神父様のところに宿をとっていましたが、ときには信徒の家庭に宿泊することもありました。

 アルベリオーネ神父様は、朝の黙想のなかで、私たちがどのようにしたらよいかを指示され、謙遜と信仰にとどまるように勧められました。
 福音書や聖人伝をもっていって進めるのですから、信仰をもって。しかし、私たちは欠点だらけで、おそらく罪もいっぱいあったでしょうから、謙遜に。
 2人は、けっして離れてはならないこと、お互いに助け合いながら賢明であること。
 1人が本を薦め、もう1人はその間祈るようにしていました。本を買うことを断られても、少なくともパンフレットを残していきました。

 シスター テクラ・メルロも、何回もこの形の訪問宣教を体験し、ある時は1人の人、他のときには別の人と行き、それから気づいたことを話しておられましたが、いつもとても具体的で実際的なお話でした。

シスター テクラ・メルロは、心していました。人々がどうパウロの娘たちを迎えてくれるのか、かわされる言葉、自分の家を訪問された人々の表情、話の内容、気持ちよく迎え入れられるか、疑い深い目で見られるのか、それに加えてお金や値段のこともあります。

それからこの使徒職をすることにより、修道生活のライフ・スタイルも変わってきます。
 この時までは、祈ってから働いていました。労苦多い働きではあっても家のなかで、守られて、一定のリズムで、たくさんの仲間と一緒に、そして、上長はいつでも身近にいるという生活でした。

ところが、家から家へと訪問していく時は、今までとは全く違っています。思いがけないことがいろいろあり、その場で決断が求められ、自分たちだけでしなければならないのです。

シスターテクラとの対話する会員

●シスター テクラ・メルロは、自らの体験に加えて、会員と手紙で連絡をとりながら、分かってきたことがありました。

●修道女である彼女たちの生活が、修道生活の土台となる点にしっかりと根を下ろしていなければならないのは当然としても、アルバの母院での生活習慣、時間割、規則をそのまま支部修道院にあてはめることはできないということでした。

そこで、生活上の決まりを、その場の状況に適応していくという慎重な営みがはじめられ、一般的な行動規範となるものを描きだしていきました。

手始めとして、支部修道院の院長たちが、長い出張から戻ったシスターたちに、週の休息を与えるように指示しました。また、彼女たちがする話を注意深く、尊敬をこめて耳を傾け、彼女たちがつらいと思ったことからは何かを学び取るように、と勧めたのです。

1929年12月29日付け、つまり最初の回状は、新しい環境に慣れていくという課題に取り組んでいる会員たちへの愛情あふれた心づかいが中心でした。シスター テクラ・メルロは、まず、マリアに倣うように彼女たちを励ましています。

すでに誓願を立てていた会員は、使徒業の運びでうまくいったことや、間違ったことなどを観察することをとおして、入会したばかりの小さい人々をどう訓練し養成したらいいかが分かっていきました。

シスター テクラ・メルロは、「福音を運ぶもの」である修道会全体の資質は、「単純・素朴」という特徴であると言っています。「私たちは形式ばったり、卑屈になったりせずに、素朴さをもち続けなければなりません」と。

1931年には、246の小教区の家庭を訪問しました。この訪問で出会った若い人の中から、「パウロの娘」となる希望者も多くいました。

アルベリオーネ神父が、「神の手紙を運ぶ人」と呼んでいたパウロの娘たちが行う家庭訪問宣教は、70年代まで継続されることになります。現在は、事情の許されるわずかな地域のみで行われています。

◆2--13 使徒職の発展


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