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新世紀ルーツへの巡礼

目次

聖パウロの大聖堂建立へ

2) 使徒聖パウロにささげられた大聖堂の建立

最初の立案図
最初の立案図

先にキャベツ畑の真ん中に建てられた聖パウロ小聖堂は、会員だけでもいっぱいになり、手狭になったことを考えると、この建築も、必要に迫られたものでもあったのです。

アルベリオーネ神父は、聖パウロ会が発行していた協力者会誌をとおして、聖堂建築のための資金をつのり、彼らの協力を呼びかけました。

1925年6月28日、フランシスコ・レ司教により、最初の礎石が祝別され、大聖堂建立がはじまりました。土台には1925年の聖年に開けられたローマの聖ペトロ大聖堂のレンガがはめこまれました。それは、あたかも「異邦人の使徒パウロ」の使徒的熱望を新しい聖堂に注ぎ込むかのようでした。

飛行場で
飛行場で

この大聖堂の建築の際もパウロ家族のメンバーたちは、自分たちで作ったレンガを運び、揺れる足場を踏みながら大聖堂のクポラ(丸天井)まで、何百回となく登ったり降りたりしたのでした。

これを見ていた人たちは、アルベリオーネ神父とその事業に対し、批判、非難の声を上げていました。アルベリオーネ神父は幻想にとりつかれているのではないか、大丈夫なのかと心配し、彼に直接忠告する司祭たちもいました。

協力者たちの寄付、生活の切りつめ、自らでまかなう方法などで進められてきた建築も、その困難はますます増し加わり、作業は中断されることになりました。彼は聖堂建設の困難さ、建設中断についての記事を、1926年協力者会誌に何回かにわたって載せています。

聖堂建設工事は、1927年3月にやっと再開されました。この間、パウロ家族のメンバーは皆、炉で働く労働者となりました。建設工事を進めるために、少年や青年、シスターたちはレンガを造り、炉から足場まで肩に載せて運んだのでした。

アルバの冬は、アルプスから吹きおろす冷たい風で、すべてが凍りつきます。次回冬季オリンピックのあるトリノは、このアルバから車で1時間ほどの距離となります。アルバのきびしい寒さの中を、パウロ会メンバーたちは木靴をはき、道路の上をカラン、コロンと音を立てながら歩いていました。それで町の人たちは、彼らを「木靴の修道会」と呼んだほどでした。

アルベリオーネ神父は、「……来る日も来る日も危機に瀕して生きていたが、いつも聖パウロが救いだった」と、このころのことを回想し言っています。

聖パウロ聖堂は、1928年10月28日に落成しました。
 聖パウロにささげられたこの大聖堂の内部は、長さ60メートル、幅40メートル、高さ32メートルという堂々たるものです。
 大聖堂はバロック様式で、とりわけ注目に値するのは、ステンドグラスの窓と十字架の道行です。

1938年にはオルガンの荘厳な祝別が行われ、1946年には大理石で造られた「聖パウロの栄光像」が完成しました。この内部正面の大祭壇のそばに置かれた、聖パウロの巨大な大理石像を見れば、この聖堂が、聖パウロにささげられた聖堂であることが一目でわかります。

次回は、この聖堂についてご紹介したいとおもいます。

◆5--1 聖パウロの大聖堂建立へ


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