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新世紀ルーツへの巡礼
6--2 第ニ次世界大戦終了後の歩み
4) パウロの弟子たちは世界へ
メキシコの共同体
戦後、次々と新しい地へパウロの息子・娘たちが師父パウロの宣教旅行のように旅立って行きました。
1946年にはカナダ(ケベック州)に新しい共同体が、また入国に非常に困難であったメキシコに、スイスのルガーノに小さな共同体が設立されました。
1947年にはチリ、コロンビア、英国へとパウロ会員は出発していきました。
時を同じくして、パウロの娘たちは、1946年にスペイン、スイスへ、1948年には、チリ、メキシコ、コロンビア、日本へ、1950年にはインドへと旅立っていきました。
1948年4月にコロンビアに向けて出発したのは4人の修道女で、シスターレティッツィア・エレナと3人の姉妹です。
カルタヘナで下船した彼女たちは港で一夜を明かさなければなりませんでしたが、翌日、飛行機でボゴタに到着し、すでに共同体を開いていたパウロ会士たちに迎えらました。
彼女たちは何週間かたって「修道院」を開設はしたものの、場所も立場も困難をきわめていました。また、2600メートルというボゴタの海抜に慣れるための苦しみもありました。
5月には、チリのヴァルパライソに修道院が開設されました。同じ時期、メキシコにシスターベルナルデッタ・ヘェラーリスと3人の姉妹が入ります。彼女たちは、メキシコの当時の法律に敬意を払い、修道服をとって、首都での活動を開始しました。
はじめのうち、彼女たちの仕事は家庭訪問と、すでに何年か前から活動している聖パウロ修道会出版の書籍の普及にあたりました。入会希望者が早くも現れ、1950年にはメキシコ人の修練女が3人、勉強のためにローマに派遣されました。
さて、日本です。日本にはシスターイレネ・コンティと共に4人のシスターが派遣されました。次回は、日本創立についてご紹介いたしましょう。
◆6--2 第ニ次世界大戦終了後の歩み
- 1) 60代のアルベリオーネ神父
- 2) 戦後の世界旅行
- → 大洋を越えるアルベリオーネ神父の最初の旅行
- 3) 偉大なる協力者、恩師の逝去
- 4) パウロの弟子たちは世界へ
- 5) パウロの娘、日本へ(1)
- 6) パウロの娘、日本へ(2)
- 7) 日本への派遣を受けたとき
- 8) シスターテクラの同伴