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新世紀ルーツへの巡礼
第2バチカン公会議の歩みの中で
2) パウロ家族は公会議をどう受け止めたのでしょうか
公会議へ行く創立者
公会議の準備段階において
公会議の準備段階において、アルベリオーネ神父は教会から受け取ったアンケートの答えを、教会生活の4つの分野、つまり、神学、法律、養成、典礼に関する提案を送っています。
アルベリオーネ神父は、この公会議は「歴史的、宗教的観点から、今世紀の大きな出来事である」と考え、このために祈り、善業、苦行をささげ、準備するようにとパウロ家族のメンバーに強く勧めています。
1962年10月3日、アルベリオーネ神父は創立者、総長としてこの公会議に出席するようにとの教皇ヨハネ23世の招請を受けました。彼は、これを感謝と祈りをもって受け取りました。
修道会では?
修道会では、どのようにこの公会議が受け止められたのでしょうか。
ローマにおいては、修道会総長会から依頼され「教会の展示会」を準備しました。当時、この総長会の会長はアルベリオーネ神父でした。
「人類の母であり、師である教会の特徴を人びとに知らせる」という目的で開かれた展示会は、ローマの見本市の広い場所に開設され、1962年11月18日から12月9日まで開かれました。
パウロ家族は、アルベリオーネ神父の意向に従い、全修道会が、とりわけ使徒の女王修道女会と聖パウロ女子修道会が中心になって働いていました。
創立まもない使徒の女王修道女会には、彼女たちの召命のカリスマに合わせて、この展示会の総指揮と出展者の調整が委ねられました。また展示会開催中の種々の奉仕、調整、秘書局の仕事も彼女たちに委ねられました。
イタリアの“Edizione Paoline(パウロ出版)”は、新しい教会のビジョンを提示する著者たちによって多くの書物を出版しました。
聖パウロ女子修道会会員はこれらの書物の普及に力を入れ、これらをとおして、教会刷新のため尽くしていました。
他にも公会議のイベントに熱心に参加し、同時にさまざまな使徒的イニシャーティブをもって参加していました。
◆9--1 第2バチカン公会議
- 1) 第2バチカン公会議開催の告知
- 2) パウロ家族は公会議をどう受け止めたのでしょうか
- 3) 公会議の舞台裏
- 4) アルベリオーネ神父 第2バチカン公会議に出席
- 5) シスターアスンタ・バッシの「広報機関に関する指針」の講話