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教会カレンダー

年間第4金曜日

第1朗読 ヘブライ人への手紙 13章1~8節

福音朗読 マルコによる福音書 6章14~29節

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第1朗読 ヘブライ人への手紙 13章1~8節

 (皆さん、)兄弟としていつも愛し合いなさい。
旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。
神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。 神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。
 「主はわたしの助け手。
 わたしは恐れない。
 人はわたしに何ができるだろう。」
 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

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福音朗読 マルコによる福音書 6章14~29節

 (そのとき、)イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。 人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」 そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。 そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

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「兄弟としていつも愛し合いなさい」と始まる今日の朗読です。そして種々の勧告が記されていますが、要となるのは、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」ということです。

ですからわたしたちは、こう言うことができます。
「主はわたしの助け手。
 わたしは恐れない。
 人はわたしに何ができるだろう」と。

そして、言います。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」と今日の朗読は閉じます。

「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」との言葉を、かみしめて味わう1日としましょう。

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洗礼者ヨハネの殺害、洗礼者ヨハネの殉教に関する記事です。

ここに書かれている名前を短く整理してみると、14節のヘロデとは、ヘロデ・アイティパスのことで、ヘロデ大王の第3番目の子です。
13節の「自分の兄弟フィリポ」とは、ヘロデ・アイティパスの腹違いの兄弟です。
22節に出てくる「ヘロディアの娘」とは、ヘロデ・フィリポとの間に生まれたサロメのことです。

ヘロデは娘への軽率な誓いにより、洗礼者ヨハネの首を切らせます。
「王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった」と書かれています。
ここには心を痛めた「良心」、娘に「誓ったことではある」という親としての「面子」、「客の手前」という「世間体」があります。
洗礼者ヨハネを恐れながらも尊敬していましたが、実際には上記の3つにより、彼の行動が決められました。

真理のために生きた洗礼者ヨハネ、神の声を人びとにもたらした洗礼者ヨハネでしたが、ヘロデは自分の罪と直面させた彼を殺害したのでした。

ヘロデのような結果を引き起こしてしまう、このような決断、本能による決断、神不在による決断について、わたしたちも考察する必要があるのです。

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