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教会カレンダー

A年 四旬節 受難の主日

第1朗読 イザヤ書 50章4~7節

第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6~11節

福音朗読 マタイによる福音書 26章14節~27章66節

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イエスが歩いた道

西暦400年ごろ一人のシスター(修道女)が書いた「エテリアの聖地巡礼記」という記録が、近年になって知られるようになりました。それは、そのころのエルサレムにおける教会の典礼、ことに四旬節、聖週間、復活節の典礼について詳しく伝えています。

現在「受難の主日」とよばれている主日は、「枝の主日」ともよばれていました。エルサレムにおける枝の行列は、受難の主日のミサの後に行われていたと巡礼記はつづっていますが、現在の典礼では、開祭の部で行われます。

イエスのエルサレム入城は決定的な受難の道に入ったことを意味し、この時からイエスの歩みは一直線に十字架に向かいます。

ですから、今日という日は、エルサレムにはじまるキリストの受難が、復活の栄光に至る道であることを思い起こす日です。

キリスト者は、オリーブ山の教会に集まり、司教を中心に大人も子どもも手に棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝をもって「神の名によって来られた方に賛美」と、詩編や賛美歌を歌いながら、行列をし、エルサレムの町に入り、聖墳墓教会(イエスが十字架につけられ、埋葬され、復活されたといわれるゴルゴダの丘にある教会)まで行きました。

このエルサレムの枝の行列にならい、教会は毎年、主イエスのエルサレム入城を記念します。そして、この日から教会の典礼の頂点である「聖週間」とよばれる週に入ります。

かつて、この日に使用するオリーブの小枝や棕櫚の葉(手に入らない場合には、その他の常緑樹の枝)は、信徒が自分で準備して来て、祝福をいただき、それを家にもって帰り、この日を記憶するようにしていましたが、住宅事情などから自分で準備するのが大変なので、現在では教会で準備するようになりました。

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主のエルサレム入城では、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と、イエスがエルサレムに入った時に、感極まる叫びが人々から上がりました。
しかし、このエルサレム入城は、イエスの受難の序曲でもあったのです。

司祭は枝をもった会衆を祝福し、入城の福音(今年はマタイによる福音書)が朗読され、行列(あるいは、入堂)がはじまります。

いよいよ一年の教会カレンダーの頂点、「主の過ぎ越しの3日間」が、近づいてきます。教会共同体とともにこの豊かな典礼を過ごしてまいりましょう。

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今日の第1朗読は、有名な「主のしもべ」の第3の歌です。

第2イザヤと呼ばれるイザヤ書の 40~55章は、捕囚時代(紀元前6世紀)の預言で、そこには4つの「主のしもべの歌」と呼ばれるものが収められています。今日の朗読は、その中の第3のものです。

「主のしもべの歌」は、聖週間の中で月曜日に第1の歌、火曜日に第2の歌、水曜日に第3の歌、聖金曜日に第4の歌と朗読されていきます。

神の言葉を受け、それを伝えたために迫害を受けた主のしもべ。この主のしもべはだれのことかについては、イスラエルの民全体の運命を指すとか、または将来現れるメシアの姿として捉えられてきました。

主の召命を受け、人類の罪を背負って苦難を受けたしもべの姿は、キリストのお姿に他ならないと、初代教会から大切に思われてきました。

ですから、福音書記者は、人々は「イエスの顔に唾(つば)を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら……」(67節)と、イエスの受けた侮辱を記しているのです。

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第2朗読では、「キリストの賛歌」であるフィリピの信徒への手紙 2章6~11節が読まれます。

このキリストの賛歌は、聖週間の間度々登場します。キリストの卑下と死にいたるまでの従順、それに続く高挙を歌う点で、受難と復活神秘の神髄を示しているからです。

キリストの地上での生活は、しもべの姿、つまり仕える者、神と人々に奉仕する姿で要約されます。

人々が救い主(メシア)に抱くイメージと、イエスの生涯にはあまりにもギャップがありました。そこにこそ、神の神秘が秘められているという感動が、このキリストの賛歌の底に流れています。これは、教会の信仰の基調を奏でている賛歌であり、それを使徒パウロが記したのです。

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毎年、今日のミサにおいて、主の受難の朗読が行われます。この受難の朗読は、古くから聖金曜日に行われていました。主日ごとにキリストの生涯の主な出来事を記念していくために、今日も受難の朗読が行われます。福音書の中で受難の叙述は、キリスト伝の中心的なものです。四福音書のすべてに受難の叙述がありますが、今年は第1周期(A年)にあたるので、マタイによる主イエス・キリストの受難が読まれます。

マタイによる主イエス・キリストの受難では、イエスと弟子たちの結びつきが強調されています。

B年に読まれるマルコによる主イエス・キリストの受難(15.1-39)と、昨年(C年)に読まれたルカによる主イエス・キリストの受難(23.1-49)とを比べながら読んでみると、マタイと他の福音書との違いは一目瞭然(りょうぜん)です。

また、マタイによる福音書は、「教会」という強調点もあるので、そこにも心をとめて読んでいくと、マタイの受難記はイエスと弟子との親しい関わりを中心に、教会の中におられ、ゆるしの源である主をも強調していることに気づかれるでしょう。

今年は、三福音書をノートに書きながら(写経をするように)、味わってみてはいかがですか。書いていくと、日ごろ気づかないところに気づかせていただけます。

祈り

全能永遠の神よ、
  あなたは人類にへりくだりを教えるために、
  救い主が人となり、
  十字架をになうようにお定めになりました。
  わたしたちが、
  主とともに苦しみを耐えることによって、
  復活の喜びをともにすることができますように
   集会祈願より

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第1朗読 イザヤ書 50章4~7節

主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように言葉を呼び覚ましてくださる。

朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。

打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

主なる神が助けてくださるからわたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っているわたしが辱められることはない、と。

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第2朗読 フィリピの信徒への手紙 2章6~11節

キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ、
へりくだって、死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順でした。

このため、神はキリストを高く上げ、
あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、
イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。

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福音朗読 マタイによる福音書 26章14節~27章66節

そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、
祭司長たちのところへ行き、

「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。
そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。

そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、
「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。

イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。
『先生が、「わたしの時が近づいた。
お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」

弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。

夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。

一同が食事をしているとき、イエスは言われた。
「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

弟子たちは非常に心を痛めて、
「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。

イエスはお答えになった。
「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。

人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。
だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。
生まれなかった方が、その者のためによかった。」

イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、
「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。
「それはあなたの言ったことだ。」

一同が食事をしているとき、
イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、
弟子たちに与えながら言われた。
「取って食べなさい。これはわたしの体である。」

また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。
「皆、この杯から飲みなさい。

これは、罪が赦されるように、
多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、
今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。
『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』
と書いてあるからだ。

しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」

するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、
わたしは決してつまずきません」と言った。

イエスは言われた。「はっきり言っておく。
あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、
あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。
弟子たちも皆、同じように言った。

それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、
「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。

ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、
そのとき、悲しみもだえ始められた。

そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。
ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、
彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。
「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に
目を覚ましていられなかったのか。

誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。
心は燃えても、肉体は弱い。」

更に、二度目に向こうへ行って祈られた。
「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、
あなたの御心が行われますように。」

再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。

そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。

それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。
「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。
時が近づいた。
人の子は罪人たちの手に引き渡される。

立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。
祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。

イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。
それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。

ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。

イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。
すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。

そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、
大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。

そこで、イエスは言われた。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。

わたしが父にお願いできないとでも思うのか。
お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。

しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」

またそのとき、群衆に言われた。
「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。
わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、
あなたたちはわたしを捕らえなかった。

このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」
このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。
そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。

ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、
事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。

さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとして
イエスにとって不利な偽証を求めた。

偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。
最後に二人の者が来て、

「この男は、『神の神殿を打ち倒し、
三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。

そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。
「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」

イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。
「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」

イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。
しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、
人の子が全能の神の右に座り、
天の雲に乗って来るのを見る。」

そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。
「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。
諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。

どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。

そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、

「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。

ペトロは外にいて中庭に座っていた。
そこへ一人の女中が近寄って来て、
「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。

ペトロは皆の前でそれを打ち消して、
「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。

ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、
「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。

そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。

しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。
「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」

そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、
「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。

ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」
と言われたイエスの言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。

夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。

そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。

そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って
後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、

「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。

そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。

祭司長たちは銀貨を拾い上げて、
「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、

相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。

このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。

こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「彼らは銀貨三十枚を取った。
それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。

主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」

さて、イエスは総督の前に立たれた。
総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、
イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。

祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。

するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、
聞こえないのか」と言った。

それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、
総督は非常に不思議に思った。

ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を
一人釈放することにしていた。

そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。

ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「
どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。
それともメシアといわれるイエスか。」

人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。

一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。
「あの正しい人に関係しないでください。
その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」

しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、
イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。

そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、
人々は、「バラバを」と言った。

ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、
どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。

ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、
群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。

ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、
水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」

民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」

そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、
十字架につけるために引き渡した。

それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、
部隊の全員をイエスの周りに集めた。

そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、

茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、
その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。

また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。

このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、
十字架につけるために引いて行った。

兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、
イエスの十字架を無理に担がせた。

そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、

苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、
イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。

彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、

そこに座って見張りをしていた。

イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。

折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、
十字架につけられていた。

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、

言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。
そして十字架から降りて来い。」

同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。

「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。
今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。

神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」

一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。

そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。

そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、
葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。

ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。

しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。

そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、

墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。

そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、
地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、
「本当に、この人は神の子だった」と言った。

またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。
この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。

その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、
ゼベダイの子らの母がいた。

夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。
この人もイエスの弟子であった。

この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。
そこでピラトは、渡すようにと命じた。

ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、

岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、
墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。

マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。

明くる日、すなわち、準備の日の翌日、
祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、

こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、
『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。

ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。
そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、
『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。
そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」

ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。
行って、しっかりと見張らせるがよい。」

そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。

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