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教会カレンダー

B年 主の昇天

第1朗読 使徒言行録 1章1~11節

第2朗読 エフェソの信徒への手紙 4章1~13節

福音朗読 マルコによる福音書 16章15~20節

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今日は主のご昇天の主日です。復活後40日目に、主の昇天を祝います。しかし、この日は、守るべき祭日でないので、日本では、今日、復活節第7主日に祝います。

主の昇天という愛する主との別離にあたって、弟子たちは何を感じていたのでしょうか。

イエスの死はいったい何だったのか、イエスの十字架とは、弟子たちにとってどのような意味をもったものだったのか、主の昇天はその一つの答え、意味を示してくれます。

主の昇天の出来事によって、弟子たちとイエスとの関わりは一つの転機を迎えます、
 この出来事はまさに、聖霊の派遣の序曲、教会活動の幕開けを告げるものでもあったのです。

私にとって、この昇天の出来事はどのような意味をもっているのか考察し、祈ることは意味あることです。

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今日の第1朗読は、使徒言行録のはじめの部分であり、ルカによる福音書の結びの継続となっています。

ご昇天の出来事は、キリストの生涯の完成であるとともに、教会活動がはじめられる前提でもあるのです。

使徒たちが主から受けた命令を実践することにより、主の教会が形成され、発展しはじめます。それは「キリストの時」の終曲、「教会のはじめの時」の序曲となる聖霊降臨をイエスの口から預言させています。この出来事により、私たちの使命はキリストの使命に結ばれているのです。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。
そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、
また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

こう言われてイエスは、天に昇って行かれたのです。
 終末の時がはじまり、イエスは、その道を開いてくださいました。

ABC年共に読まれる使徒言行録のはじめを、ゆっくりと味わいたい1日です。

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今日の第2朗読では、エフェゾの信徒への手紙の第2部が読まれます。

この手紙の最初の3章で、キリスト教信仰の偉大で永遠の真理、神の目的とご計画の中におかれた教会の役割を述べたパウロは、第2部では教会が神のご計画の中で役割を果たすなら、各々の信徒はどのようであるべきかを描写します。

召されたお召しにふさわしくあるように(2-4)、キリスト者の一致の基礎(4-6)などキリスト者の特質について述べた後、教会内での賜物について述べ(7-10)ます。

キリストが賜物の賦与者であることを主張するために、詩編68の1節を引用しています。
 この詩編は、王の勝利の帰還を描いています。

パウロは「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と述べ、勝利の王キリストが人々に賜物を分け与えています。

パウロが「上った」という言葉を用いる時、イエスのことを考えさせます。イエスがこの世に「降りて来られた」時、人となってこの世に入ってこられ、この世から「上られた」時、ご自身の栄光に戻るために人の姿を捨てられたのです。

パウロは、上られたキリストと降られたキリストとが一つの同じ方であると述べます。この意味するところは、天に昇られた栄光のキリストが、この地上を歩まれたキリストと同じ方であり、今も人々を愛し、罪人を許し、苦しんでいる人々をいやしてくださるお方であるということです。

パウロにとってイエスの昇天は、聖霊により世界のあらゆるところにおられることによって、キリストが充ち満ちた世界を示されるということを意味しているのです。

そして、「わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」とパウロは言います。

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今日のマルコ福音は、イエスが弟子たちに与えた全世界への派遣の命令と、主の昇天を結びとしています。

それぞれの福音書は、結びに福音書の中心的なメッセージ、イエスの姿を描いています。

全世界への福音宣教の命令は、どの福音書も復活された主から直接に与えられています。

マルコ福音書の結びには、他の福音書と共通する「福音」、「洗礼」、「救い」、「しるし」などの言葉の他に、「悪霊を追い出す」、「あたらしい言葉」、「へびをつかむ」という言葉があります。

自分の目の前に起こる出来事とそれが意味していることを分けて考えていくことは、大切です。今の時代は出来事だけが先行し、それを読み取る力が不足しているかもしれません。

イエスが、こう言われます。

信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、
また、毒を飲んでも決して害を受けず、
病人に手を置けば治る。

このしるしをあなたはどう読みますか。
 あなたは、キリストの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語りますか。
 手で蛇をつかんで、どうですか。
 病人に手を置いて治りましたか。

キリストの受難、死、復活、昇天、聖霊降臨の出来事は、何を私たちに語るのでしょうか。今日の昇天は、私たちキリスト者にはどのような意味があるのでしょうか。

昇天という出来事には、信じる人にはこのようなしるしが伴う時代が来ているということが示されています。

このしるし、現代においてのしるしが何であるのかを考察し、探すことが求められます。今日は、現代においてのしるしを見極める日としてはいかがですか。

祈り

全能の神よ、
あなたは御ひとり子イエスを、
苦しみと死を通して栄光に高め、
新しい天と地を開いてくださいました。
主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。
キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、
ともに永遠のいのちに入らせてください。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 1章1~11節

テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著(あらわ)して、
イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに
聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までの
すべてのことについて書き記しました。

イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、
数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって
彼らに現れ、神の国について話された。
そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。
「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、
父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、
あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために
国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった
時や時期は、あなたがたの知るところではない。
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。
そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、
また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、
雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。
すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、
天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

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第2朗読 エフェソの信徒への手紙 4章1~13節

そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。
神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、
一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、
霊による一致を保つように努めなさい。

体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、
一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、
すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、
すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、
恵みが与えられています。
そこで、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、
人々に賜物を分け与えられた」と言われています。
「昇った」というのですから、低い所、
地上に降りておられたのではないでしょうか。
この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、
もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。

そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、
ある人を牧者、教師とされたのです。
こうして、聖なる者たちは奉仕の業(わざ)に適した者とされ、
キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、
神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、
キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

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福音朗読 マルコによる福音書 16章15~20節

それから、イエスは<11人の弟子に現れて>言われた。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、
病人に手を置けば治る。」
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。

一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、
それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。


注:< >内のことばは、Laudateで付けました。
  今日の箇所は、後代の加筆と見るのが一般的とされています。

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