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教会カレンダー

B年 年間第27主日

第1朗読 創世記 2章18~24節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 2章9~11節

福音朗読 マルコによる福音書 10章2~16節

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今日の福音のテーマは、結婚生活、子どもについてです。この基は、人が造られた創世記にまでいきます。

私たちは、自らが置かれている状況が決してたやすい状況でないことを日々実感しています。自分の状況、他の人々との関わり、コミュニケーション、自然界との関わりなど……。

このような時だからこそ、「人の思いをはるかに越えて世界の上に注がれる」神の恵みに私たちの思いを向けることが大切なのです。それは、イエスが言われる「子どものような」ことなのでしょうか。

イエスは、子どもたちを「抱き上げ」、「手を置いて祝福」されました。意味深い動作です。

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今日の第1朗読は、創世記からです。創世記には世界の創造についていくつかの資料から伝えられ、書かれていますが、今日読まれる2章の創造物語はヤーベ資料によります。

人が男と女として創造されたことが、創造の出来事のクライマックスとして語られているのは、創世記1章に描かれている創造物語と同じです。

神は創造されたものを、人がどのように「呼ぶ」かを見ておられたとあります。名をつけることは、ヘブライ的な考え方では、名をつけたものを所有し、したしく知ることを意味するそうです。「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった」とは、躍動的な言葉として響いてきませんか。

「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とはじまる今日の朗読ですが、神は「人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、……人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られた」とあります。

神によって造られた人間とはだれであるのか、人が1人ではなく、2人連れの中で完成されることを伝えようとしています。

造られた人間は、自分の側からも、自分を認識するだけでなく、他者をも認識できる存在です。

「ついに、これこそ
 わたしの骨の骨
 わたしの肉の肉。
 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
 まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

とは、まさに人間が自分の助け手を認識し、認めた言葉ではないでしょうか。

こうして、「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」歩みがはじまりました。

「二人は一体となる」。人は個人として存在すると同時に、他者と共に一体として存在するのです。

性が商品化されている昨今です。私たちは創世記が提供してくれている記事を読み直し、自らの根元的なことを再発見する必要があるかもしれません。

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今日から年間33主日まで、第1朗読のおいて、「ヘブライ人への手紙」を読んでいきます。手紙とは言うものの、純粋には司牧上の説教の原稿であったと言われています。聖書(旧約)を説明し、解釈する部分とそれにもとづく勧告部分とが交互に出てきます。

2章では、キリストと私たちのつながりをとりあげています。キリストこそ詩編8に歌われている約束、つまり「栄光と栄誉の冠を授けられ」、「救いの創始者」となられました。

キリストは、神の子でありながら、すべての人と同じ人間であるという神秘にふれ、「人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」のですと言います。

人間はこのキリストによって、キリストをとおして、はじめてこの偉大な召命を完成させることができます。

今日の個所は、キリストによってもたらされた救いのすばらしさ、私たちがキリストの兄弟姉妹として栄光に導かれる道を開いてくださったことを語ります。

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ファリサイ派の人々は、結婚の不解消性について質問します。「許されているか」と問います。

当時、離婚の問題はラビの論争中の問題だったので、イエスの判断を求めたのでしょうか。それともイエスをわなにかけようとした質問だったのでしょうか。

イエスが、「モーセは何と命じたか」と彼らに尋ねると、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えます。

彼らがそのような命令を、律法の中に見つけるのは困難でした。マタイでは、「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか」と質問しています。モーセが離婚を許すのは、弱い立場にある女性を男性の横暴なやり方から守り、自由を確保するためなのです。それが、また次の男性に支配されるとは……。

当時、女性は多くの国でもそうであったように、男性の所有物、物とみられ、どんな法的権利ももっていませんでした。ですから、男性はどのような理由でも妻と離婚することができたのです。しかし、女性の側からはほとんど離婚を求めることはできませんでした。

しかし、彼らの問題の要点は申命記24章1節にある律法の解釈でした。この解釈には当時二つの学派の考え方があり、一つは厳格で、もう一つはゆるやかなものでした。一般的には後者が普及していました。そのため、イエスの時代には結婚が不安定で、女性たちは結婚を躊躇(ちゅうちょ)するようなこともあったようで、イエスが離婚について話された時、この問題は、まさに論議中の課題でした。

イエスは、モーセの規定を引用し、彼らの心のかたくなさを指摘し、権威の根拠として、「二人は一体となる」という創世記の根本的な原理にまでさかのぼり、この根本的な掟を廃止するためのいかなる法もないことを思い起こさせています。

この課題を取り扱った後、マルコは、子どもたちをすげなく扱う弟子たちに対して、イエスは叱り、子どもたちに対してとるべき態度、弟子たちが子どもたちから学ぶべき事について述べます。

イエスは「神の国はこのような者たちのものである」と言われます。これはどのようなことを言うのでしょうか。イエスは、子どものどこを指してそれほど尊ばれたのでしょうか。

子どものもつ単純さ、純粋さ、温順さ、信頼の心、……。

マルコは、「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われ、子どもたちを祝福します。

今の時ほど、子どもが危機の状況の中におかれている時代はないのではないでしょうか。
 今日、私たちはイエスの言葉を受け入れる時、何が一人ひとりに、また社会にチャレンジするのでしょうか。

祈り

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく
人の思いをはるかに越えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。
   集会祈願より

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第1朗読 創世記 2章18~24節

 主なる神は言われた。
 「人が独りでいるのは良くない。
 彼に合う助ける者を造ろう。」

 主なる神は、野のあらゆる獣、
 空のあらゆる鳥を土で形づくり、
 人のところへ持って来て、
 人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。

 人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
 人はあらゆる家畜、空の鳥、
 野のあらゆる獣に名を付けたが、
 自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。
 人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、
 その跡を肉でふさがれた。
 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
 主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
 人は言った。
 「ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
 まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、
 二人は一体となる。

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第2朗読 ヘブライ人への手紙 2章9~11節

 「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、
 死の苦しみのゆえに、
 「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。

 神の恵みによって、
 すべての人のために死んでくださったのです。
 というのは、多くの子らを栄光へと導くために、
 彼らの救いの創始者を
 数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、
 万物の目標であり源である方に、
 ふさわしいことであったからです。

 事実、人を聖なる者となさる方も、
 聖なる者とされる人たちも、
 すべて一つの源から出ているのです。
 それで、イエスは彼らを
 兄弟と呼ぶことを恥とされないのです。

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福音朗読 マルコによる福音書 10章2~16節

 ファリサイ派の人々が近寄って、
 「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」
 と尋ねた。
 イエスを試そうとしたのである。

 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」
 と問い返された。
 彼らは、
 「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」
 と言った。

 イエスは言われた。
 「あなたたちの心が頑固なので、
 このような掟をモーセは書いたのだ。
 しかし、天地創造の初めから、
 神は人を男と女とにお造りになった。
 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
 二人は一体となる。
 だから二人はもはや別々ではなく、一体である。
 従って、神が結び合わせてくださったものを、
 人は離してはならない。」

 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。

 イエスは言われた。
 「妻を離縁して他の女を妻にする者は、
 妻に対して姦通の罪を犯すことになる。
 夫を離縁して他の男を夫にする者も、
 姦通の罪を犯すことになる。」

 イエスに触れていただくために、
 人々が子供たちを連れて来た。
 弟子たちはこの人々を叱った。

 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
 「子供たちをわたしのところに来させなさい。
 妨げてはならない。
 神の国はこのような者たちのものである。

 はっきり言っておく。
 子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
 決してそこに入ることはできない。」
 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

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